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「醍醐寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

醍醐寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
旅愁」より 著者:横光利一
を覚えた。 嵯峨一帯の寺寺から、修学院、大徳寺境内、西本願寺の飛雲閣、それから醍醐寺までとのびた巡拝の径路に、三日にしては少し多すぎるほどだったが、それらのう....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
七番が岡寺、八番が長谷寺、九番が奈良の南円堂、十番が山城宇治の三室、十一番が上の醍醐寺、十二番が近江の岩間寺、十三番が石山寺、十四番が大津の三井寺と段々|打巡り....
十二支考」より 著者:南方熊楠
》』)、横尾明神は本地毘沙門で盗を顕《あら》わすために祝《いつ》き奉るという(『醍醐寺雑事記』)などその痕跡を留むる。 石橋君は大黒天に鼠はもとクベラ神像と混....
私本太平記」より 著者:吉川英治
えなかった。 おそらくは途中で、敵兵に阻まれたせいか何かであろう。一時、洛外の醍醐寺辺にかくれ、やがて日を経てから、笠置の山へたどりついている。 またさきに....
私本太平記」より 著者:吉川英治
阿野全成(幼名・今若)なるものがいた。 頼朝、義経の運命とおなじく、幼少の折、醍醐寺に入れられていたが、やがて頼朝の幕府に召しだされ、還俗して、北条時政のむす....
親鸞聖人について」より 著者:吉川英治
み、親鸞が苦しんでいても、しかし、苦しまぬ人もいましたね。僧団のなかにはですよ。醍醐寺(注=京都市伏見区)の稚児及草子というのを見ますと、その当時、すでに僧門の....