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釈場
「釈場〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
釈場の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
辰《たつ》のふた七日《なのか》の日にね、あんまり気がめいってならねえから、通りの
釈場にいったら講釈師がいったんですよ。あたりめえの人間の気違いはかええそうだが、....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
重っ苦しくって気が鬱いで、なにをする元気もないので、気晴しのために近所の小さい講
釈場へ毎日通ったことがありました。今も昔もおなじことで、講
釈場の昼席などへ詰めか....
「縮図」より 著者:徳田秋声
、松島の第二の妻の姉に愛され、踊りや長唄を、そのころ愛人の鹿島と一緒に、本郷の講
釈場の路次に逼塞し、辛うじて芸で口を凌いでいた、かつての新橋の名妓ぽん太について....
「大阪を歩く」より 著者:直木三十五
興り得ない物 私の少年時代には、法善寺に一軒、空堀に一軒、天満天神裏に一軒、講
釈場があった。だが、いつの間にか、大阪から、講談は無くなってしまった。 「玉川お....
「茶色っぽい町」より 著者:宮本百合子
出かけることが多くなった。元、椿山荘《ちんざんそう》のあった前の通りをずっと、講
釈場裏の坂へおり、江戸川橋を彼方に渡って山伏町の通りに出る。そして近頃、その通り....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
から、一人で行って見てやれ――という気になりました。 九 講
釈場へ案内されて行って見ると、かなりの席で、かなりの入りがあります。 大看板に....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
っ! 手前《てめえ》はいつかの小僧じゃアねえか。飛んで灯に入る夏の虫――」
講
釈場《こうしゃくば》仕込みの文句を口に、与吉、つかつかと土間へおりようとすると―....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
いうのである。一方の講談席は文字通りの講談専門で、江戸時代から明治の初期までは講
釈場と呼ばれていたのである。寄席は原則として夜席、すなわち午後六時頃から開演する....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
番武士とか、お上りさんとか、そういう低級の観客の趣味に、巧みに迎合させていた。講
釈場もあれば水芸、曲独楽、そんなものの定席もできていた。 曲独楽の定席の前まで....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
通用門で、その脇が一帯に大掃溜であった。その側は折れ曲がって左右とも床見世で、講
釈場、芝居小屋などあった。この小屋に粂八なぞが出たものです。娘義太夫、おでんや、....
「随筆 寄席囃子」より 著者:正岡容
」 と地口《じぐ》る挿話もおもしろかった。さらにまた名人春錦亭柳桜が穴のあいた
釈場の高座へ飛び入りで客席から出演し、世にも水際立った人情噺を一席|演《や》った....
「小説 円朝」より 著者:正岡容
でもそれでもまだ足りなくて伝馬町の清松へまで、でかけていった。ここは古くからの講
釈場だった。 初代の田辺南龍がでた。 同じく松林亭伯圓《しょうりんていはくえ....
「寄席行灯」より 著者:正岡容
流なものだとばかり、信じていた。信じきっていたから妙である。 そしたら、先月、
釈場へいって西尾魯山の「東海白浪伝」――日本左衛門を聴いた(魯山は先代馬琴門下だ....
「我が円朝研究」より 著者:正岡容
の中』によれば漱石の幼年時代、貧弱極まるものではあったらしいが、この馬場下には講
釈場のあったことすら描かれている。もって、知られよ。 浪江、伯父甥の誓約をさせ....
「申訳」より 著者:永井荷風
ことを知っているかと問うて見たが、お民は知らないと答えた。広小路に福本亭という講
釈場のあった事や、浅草橋手前に以呂波という牛肉屋のあった事などもきいて見たが、そ....