釈尊[語句情報] » 釈尊

「釈尊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

釈尊の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
かも知れない。孔子が忠信のみといったその忠信も或はこれを意味するのかも知れない。釈尊の菩提心、ヨハネのロゴス、その他無数の名称はこの本能を意味すべく構出されたも....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
教上に於ける位置を明らかにし、予言の的中が全部終った後、みずから末法に遣わされた釈尊の使者本化上行だという自覚を公表せられ、日本の大国難である弘安の役の終った翌....
紅黄録」より 著者:伊藤左千夫
とるわけである。 老病死の解決を叫んで王者の尊を弊履のごとくに捨てられた大聖|釈尊は、そのとき年三十と聞いたけれど、今の世は老者なお青年を夢みて、老なる問題は....
出家とその弟子」より 著者:倉田百三
るなら信じているのではありません。(一気に強く)弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の教説虚言ではありますまい。釈尊の教説虚言ならずば、善導の御釈偽りでございま....
死生」より 著者:幸徳秋水
歳から參禅修業を始め、二十年を経て漸く大悟徹底し、爾後四十年間、衆生を化度した、釈尊も八十歳までの長い間在世されたればこそ、仏日|爾く広大に輝き渡るのであろう、....
七宝の柱」より 著者:泉鏡花
。 山道、二町ばかり、中尊寺はもう近い。 大な広い本堂に、一体見上げるような釈尊のほか、寂寞として何もない。それが荘厳であった。日の光が幽に漏れた。 裏門....
灯明之巻」より 著者:泉鏡花
ケットである。これはいささか稚気を帯びた。が、にれぜん河のほとり、菩提樹の蔭に、釈尊にはじめて捧げたものは何であろう。菩薩の壇にビスケットも、あるいは臘八の粥に....
死刑の前」より 著者:幸徳秋水
・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生を化度した。釈尊も、八十歳までのながいあいだ在世されたればこそ、仏日はかくも広大にかがやきわ....
褐色の求道」より 著者:岡本かの子
教」と口で言い、心に思い込んで居る考えは、決して仏教ではなかった、否、却って教主釈尊より弾呵を受ける資格のある空亡外道の思想であった。 だが、私は、私に対して....
夫人利生記」より 著者:泉鏡花
。無憂樹の花、色香|鮮麗にして、夫人が無憂の花にかざしたる右の手のその袖のまま、釈尊降誕の一面とは、ともに城の正室の細工だそうである。 面影も、色も靉靆いて、....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
て我ら仏教僧侶は戒法を持つことが資本である、旅行費である、通行券である。そうして釈尊の教えられた最も謙遜の行すなわち頭陀乞食を行うて行かんには何ぞ旅行費なきを憂....
西航日録」より 著者:井上円了
リンを辞し、二十三日午前十時カルカッタに帰り、大宮氏の寓所に入る。過日、大宮氏は釈尊の降誕に関係ありとて、無憂樹の葉を余に贈れり。ゆえに、余はその返礼としてヒマ....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
夏の初めから夏安居に入って、破れ寺の瑞雲寺でも型ばかりの結制を行っていた。むかし釈尊時代に、夏の雨季は旅行も困難だし歩いても道に匍う虫類を踏むと可哀想だというの....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
す。苦労のしくずれは、この途中の苦労に捉われ、目的地を忘れた道草の人であります。釈尊が仏教を打ち建てられたとき、仏教の立場から当時印度に行われていた他の多くの思....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
の仏弟子を称して「声聞」と呼んだものと解するのである。 声聞とは言うまでもなく釈尊の声」とあることを言うのであろう。声聞師が金鼓を打つというのも、妙幢菩薩の所....