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里内裏
「里内裏〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
里内裏の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
生がないのに、通親の養女|承明門院には土御門天皇がお生れになり、通親の土御門邸が
里内裏になるという形である。建久九年に土御門天皇が受禅されると、通親は外舅として....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
山の遠い雪を、ふと瞼にまばゆがらせた。 ――天皇の鸞輿は、もう今しがた、二条の
里内裏をお立ち出でと、沿道ではつたえていた。行幸や御幸を仰ぐのはめずらしくない都....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
こまりました。では即刻」 「待て。――みかどには、先ごろから、皇居を二条富小路の
里内裏(町なかの仮ノ御所)へお移しあったと、うけたまわる。承知してか」 「心得て....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
高氏以下の軍は、洛中へ入っていた。 廃墟。都の今はそれにつきる。 大内の森や
里内裏にも、住まうお人はいなかった。 平家都落ちのむかしとて、こんなではなかっ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
べきか。とにかく、世態一変の観がある。 明くれば、六月六日。 東寺から二条|
里内裏までの行列は、荘厳をきわめていた。 「増鏡」はその壮大な列を写して、 ―....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
うよんでいる。 足利方で立てた光明院の朝廷は、さきごろ、押ノ小路室町の一劃を、
里内裏とさだめられた。 つづいて、尊氏も、その居を、東寺から移して、三条坊門ノ....