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「重吉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

重吉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
羅生門の後に」より 著者:芥川竜之介
うして又同時に、褒めて貰《もら》った始めである。 爾来《じらい》程なく、鈴木三重吉氏の推薦によって、「芋粥《いもがゆ》」を「新小説」に発表したが、「新思潮」以....
玄鶴山房」より 著者:芥川竜之介
い殻が一本、かすかに青い一すじの煙を細ぼそと立てているばかりだった。……… 二重吉は玄鶴の婿になる前から或銀行へ勤めていた。従って家に帰って来るのはいつも電灯....
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
撲でも立派な者で近郷からも随分見物が参ります、此処《こゝ》に参っている関取は花車重吉《はなぐるまじゅうきち》という、先達《せんだって》私《わたくし》古い番附を見....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
草|三好町の雷が尾張屋という米屋の蔵前に落ちて、お朝という今年十九の娘を殺した。重吉という若い男は一旦気絶したが、これは医師の手当てをうけて蘇生した。変死のうち....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
番頭と称しているが、実は深川の八幡前に巣を組んでいる海賊であった。ほかにも六蔵、重吉、紋次、鉄蔵という同類があって、うわべは堅気の町人のように見せかけながら、手....
大震火災記」より 著者:鈴木三重吉
大震火災記 鈴木三重吉 一 大正十二年のおそろしい関東大地震の震源地は相模なだの大....
霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
重「何時帰るかどうも知れません」 岡山「帰るまで泊って居る」 と云いながら突然重吉の頭をポカン。 重「おや何で打つのです」 岡山「打ったがどうした、大きな頭を....
淡紫裳」より 著者:佐藤垢石
思いを催したのである。 玄武門も見た。大きな門ではなかったが、昔子供時代に原田重吉がこの門を乗り越える木版画を見たのを思い起こして、ある感慨に打たれた。 ゆ....
とんまの六兵衛」より 著者:下村千秋
昔、ある村に重吉と六兵衛という二人の少年が住んでいました。二人は子供の時分から大の仲よしで、....
夜の構図」より 著者:織田作之助
。あはは……いい質問だ」 紳士はその新聞の死亡広告欄を指して、 「ここに、蜂谷重吉の死亡広告が出ているでしょう」 「ええ」 「元衆議院議員蜂谷重吉昨七月卅一日....
漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
には止むを得ず載せたようなものもあったけれども、中にはまた沢山の傑作もあった。三重吉君をはじめとして今日文壇に名を成している漱石門下の多くの人が大概処女作を『ホ....
枯尾花」より 著者:関根黙庵
の坂東秀調壮年の時分、伊勢の津へ興行に赴き、同所|八幡の娼家|山半楼の内芸者、八重吉と関係を結び、折々遊びに行きしが、或夜鰻を誂え八重吉と一酌中、彼が他の客席へ....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
まった。歌舞伎座の「海陸連勝日章旗」は桜痴居士の作、これは大鳥公使の談判から原田重吉の平壌玄武門先登を脚色したもので、団十郎は大鳥公使と御用船の水夫と原田重吉の....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
を上演。 ○十一月、歌舞伎座にて日清戦争劇「海陸連勝日章旗」を上演。菊五郎の原田重吉が玄武門破り、不評。 ○一月、新富座の中幕「鎌倉三代記」にて、菊五郎の三浦之....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
は私のいわゆる隣国の王と称する(それは童話国の王だからだ。)「赤い鳥」の鈴木の三重吉が、それこそ上機嫌でぴちぴちして、「ええのう、ええのう。」で意気が昂ったすえ....