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重恩
「重恩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
重恩の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
しそれをお請をするには、どうしても津軽家の方を辞せんではいられない。己は元禄以来
重恩の主家を棄てて栄達を謀る気にはなられぬから、公儀の方を辞するつもりだ。それに....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
の子息なる民部大輔といえる者、仁慈博愛の武士であって、宗祇は特にその引立てを得、
重恩を荷なったからである。されば右の民部大輔が長享二年三月生年三十六歳をもって鎌....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
病いは和丹両家の典薬どもにも匙を加えようがない。加持祈祷の効験もない。枕もとには
重恩の家の子、老若の女房ども、新古参の盲法師、歌連歌の者、さては田楽、ばさらの者....
「三国志」より 著者:吉川英治
庶はなみだを流して、 「おことば有難う存じます。才浅く、智乏しい身をもって、君の
重恩をこうむりながら、不幸、半途でお別れのやむなきに至り、慚愧にたえません。母を....
「三国志」より 著者:吉川英治
っ。……ではご老台が、進んでその難におもむいて下さるとか」 「国祖孫堅将軍以来、
重恩をこうむって、いま三代の君に仕え奉るこの老骨。国の為とあれば、たとい肝脳地に....
「三国志」より 著者:吉川英治
、御身は曹操に篤う遇せられて、都を去る折、彼の情誼にほだされて、他日かならずこの
重恩に報ぜんと、誓ったことがおありであろうが――今、曹操は烏林に敗れ、その退路を....
「三国志」より 著者:吉川英治
の温情を謝して、こう答えた。 「自分もそれに気づかないわけではないが、ただ先帝の
重恩を思い、蜀中にある孤君の御行く末を考えると、眠りについても寝ていられない心地....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
る と、いかに降人も多かったかの一例として古典は彼を挙げている。だが、 年来、
重恩の郎党 或は、累代奉公の家人共 主を棄て、親を捨て 敵方につき 目もあてられ....
「べんがら炬燵」より 著者:吉川英治
内匠頭の小姓に上ったのが奉公の初めで、浪士のうちの多数は、軽輩でも、二代、三代の
重恩をうけているが、十郎左などは、君家には、極めて、御恩の浅い方で、復讐に加盟し....