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重衡
「重衡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
重衡の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
われる気持がする。 町ともつかず村ともつかない鄙《ひな》びた家並がある。ここは
重衡《しげひら》の東下りのとき、鎌倉で
重衡に愛された遊女|千手《せんじゅ》の前の....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
におくられると一所に越中守の前司盛俊の頭も同じに京に送られた。中にも本三位の中将
重衡の卿は一人だけ生捕にされてしまった。二位殿は此の由を聞いて弓矢取る武士の軍場....
「作画について」より 著者:上村松園
の「清少納言」や、その後の「義貞勾当内侍を視る」「頼政賜菖蒲前」「軽女悲惜別」「
重衡朗詠」また小野小町、紫式部、和泉式部、衣通姫などの宮中人物、上※、女房等々、....
「画道と女性」より 著者:上村松園
も清少納言を描いた記憶がある。その頃からのことを思い出してみると、新田義貞や、平
重衡や、源頼政やの古事を題材としたことなどもあり、大石義雄とお軽の別れの場面を描....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
出品(三等銅牌)「寿陽公主梅花粧」日本美術協会出品(三等銅牌) 同 三十一年 「
重衡朗詠」新古美術品展(三等銅牌)「古代上※」日本美術協会出品(三等銅牌) 同 ....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
り。『太平記』俊基朝臣東下りの道行のうち、池田宿の条に、 元暦元年の比かとよ、
重衡の中将の、東夷の為に囚はれて、此の宿に付き給ひしに、「東路の、丹生の小屋のい....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
の地をもって夷域となし、その住人を東夷と称したものである。降って東大寺の重源が平
重衡によって焼かれた大仏殿の再建を企つるや、第一に大檀那として施主に仰いだのはこ....
「法然行伝」より 著者:中里介山
ったから、人が成程と分ったそうである。 治承四年の十二月二十八日、本三位中将|
重衡《しげひら》は、父清盛の命によって南都を攻め、東大寺の大伽藍《だいがらん》を....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
新・平家」の終りでないことだけはいっておいてもよい。 清盛の五男、本三位中将|
重衡は、一ノ谷の合戦で源氏に生捕られたのであるが、公達として、生きて都に送られ、....