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重陽
「重陽〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
重陽の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「両国の秋」より 著者:岡本綺堂
九月八日の午前《ひるまえ》に、林之助はちょっとの隙きを見て両国へ行った。あしたは
重陽《ちょうよう》の節句で主人も登城しなければならない。その前日の忙がしい中をく....
「軍用鮫」より 著者:海野十三
うな文章が返り点のついていない漢文で認めてあった。 ――支那大陸紀元八十万一年
重陽の佳日、中国軍政府最高主席委員長チャンスカヤ・カイモヴィッチ・シャノフ恐惶謹....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
くて、信玄は海津城に謙信は妻女山に相対峙すること十余日に及んで、いつか九月九日|
重陽の節句になった。 謙信は悠々として、帰国する容子はない。と云って海津城から....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
重役を七里先から呼ばんければなりません、九の字の付く客を二九十八人|招待を致し、
重陽を祝する吉例で、作左衞門は彼の野菊白菊の皿を自慢で出して観せます。美作守の御....
「封三娘」より 著者:田中貢太郎
を訊いて、人をやって近村を訪ねさしたが、だれも知った者はなかった。 九月九日の
重陽の日になった。十一娘は痩せてささえることもできないような体になっていた。両親....
「恒藤恭氏」より 著者:芥川竜之介
ち改造社の嘱に応じ、立ちどころにこの文を作る。時に大正壬戌の年、黄花未だ発せざる
重陽なり。....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
るが、敢て果のように嘗め啖うべきものではない。中国では毎年天澄み秋気清き九月九日
重陽の日に、一家相携えて高処に登り菊花酒を酌み、四方を眺望して気分をはれやかにす....
「十九の秋」より 著者:永井荷風
》をたずね、その塔の頂に登った事を思返すと、その日はたしかに旧暦の九月九日、即ち
重陽《ちょうよう》の節句に当っていたのであろう。
重陽の節に山に登り、菊の花または....
「十日の菊」より 著者:永井荷風
一時の責《せめ》を塞《ふさ》ぐこととした。題して『十日の菊』となしたのは、災後|
重陽《ちょうよう》を過ぎて旧友の来訪に接した喜びを寓するものと解せられたならば幸....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
憲房も、杯を啣んで。 「ときに、婚儀のお日取りですが」 「はあ」 「この秋の
重陽(陰暦九月九日の菊ノ節句)はどうかと、昨日、赤橋どのから正式に相談してまいら....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
尊氏は? とは、宮はお訊きにならずにしまった。 五節はもちろん、残菊の宴、
重陽の会などは、恒例の宮廷年中行事であるが、選虫の会だとか、初雪見参などは、むか....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
なって、八日の鞴祭をカジヤグンチなどという方言さえ出来た。五節供の中でもいわゆる
重陽だけは、ことに中国から学んだ式典と、日本民間の古習とが、十分な調和を遂げてい....