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野方
「野方〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
野方の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青木の出京」より 著者:菊池寛
一 銀座のカフェ××××で、同僚の杉田と一緒に昼食を済した雄吉は、そこを出ると用事があって、上
野方面へ行かねばならぬ杉田と別れて、自分一人勤めている△町の雑誌社の方へ帰りかけ....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
ころに落下する。 そうするうちに、南の方へもぞくぞく落ち出したが、また北方・中
野方面にもひんぴんと落下し、かなり近い。これは警戒を要すると思っているうちに西の....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
。 この凱旋兵の通行は十一月の十日ごろまで続いた。時には五百人からの一組が三留
野方面から着いて、どっと一時に昼時分の馬籠の宿場にあふれた。ようやくそれらの混雑....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
て、あわただしくここを出立ということになりました。 二人の相談によると、急に長
野方面に立つことになったらしい。 この連中、思い立つことも早いが、出立も早い。....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
中止を命ずるか、不文の法律があって発言を禁止させるかしない限り、こういう席では、
野方図《のほうず》の限りを尽せば尽せるようなものだが、この世の中にも世の外にも、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の経験があって、そうして成功している。犬は訓練をしなければものにならない、これを
野方図にしないためには繋縛をして置かなければならないが、これを強健にするためには....
「震災日記より」より 著者:寺田寅彦
を纏めて立退用意をしている。帰ってみると、近所でも家を引払ったのがあるという。上
野方面の火事がこの辺まで焼けて来ようとは思われなかったが万一の場合の避難の心構え....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
名代の酒屋で内田というのがあった。土蔵が六戸|前もあった。横町が内田|横丁で、上
野方面へ行くと本願寺の正門前へ出て菊屋橋通りとなる見当―― 内田から手前に百助....
「採峰徘菌愚」より 著者:佐藤垢石
ただけであるけれど、調子がいいと一日に三つや四つ採るのはむずかしくない。 武蔵
野方面も蜂の巣は少ないことはないのだが、地勢の関係上、大した期待は持てないのであ....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
うだ一旦は敵に渡す。が、やがて奪回して見せる) * 大塔宮様が熊
野方面に落ち、楠正成が河内摂津の間に、隠顕出没して再挙を計るべく、赤坂の城をこう....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
之助 高浜清様 ○ 明治四十年四月一日(京都下加茂二十四狩
野方より)(封書) 拝啓 京都へ参候。所々をぶらつき候。枳殻邸とか申すものを見....
「妖怪玄談」より 著者:井上円了
ごとし。今、左に二、三の報道を挙げて、その仕方を示さんとす。まず、美濃国恵美郡中
野方村、山田氏より昨年寄せられたる書状によるに曰く、 名古屋、岐阜をはじめ尾濃....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
干渉しないのみならず、教師自身が率先して種々の名目の下に青年男女を会同し、自由に
野方図に狎戯け散らすのを寛大に見た。随って当時の女学校の寄宿舎の応接室に青年学生....
「平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
部と見るべきであろう、越後方面の白沢と即ち中岐川の支流(灰又山の南のもの)と、上
野方面の利根川の本流とその支流の水長沢の南の一源とで平ヶ岳全部を周っているのであ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
きな一面がある。それについては諸君がすでに十分感付いておられるであろうように、吉
野方の和歌である。吉野朝関係の和歌の文献も様々のこっているけれども、これまでの記....