野田[語句情報] »
野田
「野田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
野田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「春の夜」より 著者:芥川竜之介
×
ある年の春、Nさんはある看護婦会から牛込《うしごめ》の
野田《のだ》と云う家《うち》へ行《ゆ》くことになった。
野田と云う家には男主人はい....
「水の三日」より 著者:芥川竜之介
」というやつがあって、誰も漢字に翻訳することができなかった。それでも結局「修善寺
野田屋支店」だろうということになったが、こんな和文漢訳の問題が出ればどこの学校の....
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
出るのを待った。心のうちは、いつものように得意の絶頂であった。 白軍の大将は小
野田右近《おのだうこん》といった。十二の年から京における槍術の名人|権藤左門《ご....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
宿屋を立って、日野、八王子、駒木野、小仏、小原、与瀬、吉野、関野、上の原、鶴川、
野田尻、犬目、下鳥沢、鳥沢の宿々あわせて十六里あまりを駕籠で急がせた。自分たちは....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
に五色筆というのがある。宮城野の萩、末の松山の松、実方中将の墓に生うる片葉の薄、
野田の玉川の葭、名取りの蓼、この五種を軸としたもので、今では一年の産額十万円に達....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
三方ヶ原の大勝後その附近の刑部にて新年を迎え、正月十一日刑部を発して、三河に入り
野田城を囲んだ。が、城陥ると共に、病を獲て、兵を収めて信州に入り、病を養ったが遂....
「空襲下の日本」より 著者:海野十三
。千葉県へ入って、木更津から千葉をとおり、木下、それから利根川について西へ廻り、
野田のすこし北を通って元の粕壁へかえるという線――この線以内に聴音隊が配置されて....
「妖僧記」より 著者:泉鏡花
一 加賀の国|黒壁は、金沢市の郊外一|里程の処にあり、魔境を以て国中に鳴る。蓋し
野田山の奥、深林幽暗の地たるに因れり。 ここに摩利支天を安置し、これに冊く山伏....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
舟を乗り換えて、その夜は舟泊まりとなる。蚊の多いのに困ったとある。十三日は流山、
野田を過ぎて、東京深川の扇橋に着く。八月二十九日から十六日間の旅行である。 梅....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
しかしここまで老の身をいたわり、励みをさえつけられて、その成就をよろこばれたのは
野田宇太郎さんである。
野田さんに対しては、何を措いても感謝せねばならない。
野田さ....
「山吹」より 著者:泉鏡花
夫人 何とも申しはいたしません?…… 画家 (徐に腕を拱く)さあ……あの菊屋と
野田屋へ向って渡る渡月橋とか云うのを渡りますと、欄干に、長い棹に、蓑を掛けたのが....
「河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
ると、奥の細道に、そんな記事は見えないが、 翁にぞ蚊帳つり草を習ひける 北枝
野田山のふもとを翁にともないて、と前がきしたのが見える。北方の逸士は、芭蕉を案内....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ました。世はさまざま、六月二十五日朝大阪を出立しその翌日朋友の肥下、伊藤、山中、
野田等の諸氏に見送られ、神戸の波止場から和泉丸に乗船しました。その時に故国に別る....
「空中征服」より 著者:賀川豊彦
イッチをひねった。 不満な心持ちで、市庁舎の窓から、大阪の西の空を見てみると、
野田、春日出の方面において、住友伸銅所の太い三本の煙筒から、そして、春日出の電燈....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
でがみえているほどで、当時は代々三位にまで叙せられた立派な家であった。それが後に
野田山上に移ったと言われている。『坊目考』に、 云云。 とある。しからば後に陰....