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野辺の送り
「野辺の送り〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
野辺の送りの前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
悪い者だということが明白になったから、何事もなく相済み、おあさの死骸《しがい》は
野辺の送りを済ませた上で、文治郎の母は内済金五十両をおかやの持参金として贈りまし....
「政談月の鏡」より 著者:三遊亭円朝
て見ると全く娘の死骸でございますから、直に検視を願って漸く家《うち》へ引取って、
野辺の送りを致すやら実に転覆《ひっくりかえ》るような騒ぎ、それで段々|延々《のび....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
岩吉も忠平も本当らしいから、仕方がない、お菊の屍骸を引取って、木具屋の岩吉方から
野辺の送りをいたしました。九月十三|夜に、渡邊織江は小梅の御中屋敷にて、お客来が....
「怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
と不思議に思いながら帰って来て、 白「伴藏、貴様も萩原様には恩になっているから、
野辺の送りのお供をしろ」 と跡の始末を取り片付け、萩原の死骸は谷中の新幡随院へ....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
と云い、村方のお百姓衆も色々と云って山之助に力を附け、漸くの事で村方の寺院へ
野辺の送りを致しました。 四十五 扨お話二つに分れまして、丁度....
「連環記」より 著者:幸田露伴
相憐れみ、死は相捐つという諺がある。其諺通りなら定基は早速に僧を請じ経を誦させ、
野辺の送りを営むべきであった。しかし普通の慣例の如くに然様いう社会事相を進捗させ....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
、その儘の姿勢で息をひきとったのである。苦しみだして十分間ほどの短時間であった。
野辺の送りも滞りなくすんだ。参会の人々が退去して近親だけ残ってから、千代の実父の....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
のだ。梶原正二郎という若い御家人がそれだった。そのとき彼は二十二だ。親父が死んで
野辺の送りをすませたという晩に、 「今晩は。たのもう。どうれ」 両方分の挨拶に....
「墓」より 著者:秋田滋
しまって、もう考えも何もなくなってしまいました。わたくしはただ泣くばかりでした。
野辺の送りのさまざまな行事がとり行われている間は、わたくしの劇しい苦しみは、気で....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
|庵了心信士と申し、只今に八|軒寺町の東陽寺という寺に石碑が残って居ります。先ず
野辺の送りも済ませてしまい、それから三十五日に多助はおかめおえいと五八を連れて、....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
、下総の矢切村から金重の妹が出て参りました。お富のためには真実の叔母ゆえ、後懇に
野辺の送りも済ませてから、丁度七日の逮夜の日に、本郷春木町の廻りの髪結で長次さん....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
なぜならばその人々は皆、白い裃を着、白い緒の編笠をかぶり、手に数珠を持って、まだ
野辺の送りをすまして来た涙が干かないでいる人たちであったから。 背なかを、どん....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
、これを山に放つと、暗夜にも爛々と光る眼の持主となって、行路病者の生きた肉へも、
野辺の送りの柩を目がけても跳びついてくる。 お甲はそれに近い。 「……ねえ、お....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
のだった。 そもそも、去年、鎌倉を立つ日の前に、彼は父の死に会っている。亡父の
野辺の送りも見ず、七々の忌日も営んでいないのだ。陣中には、位牌を持って歩いていた....