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金剛寺
「金剛寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
金剛寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「巷説享保図絵」より 著者:林不忘
金剛寺坂《こんごうじざか》
一
「お高《たか》どの、茶が一服所....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
が調べました。先生はこの調査のためにわざわざ河内国へ出張し、観心寺および信貴山、
金剛寺その他楠公に関係ある所へ行って甲冑を調べたのです。また加納夏雄先生と今村|....
「青銅鬼」より 著者:柳川春葉
先は、後方をも振向かず、一散走りに夢中で駈出したが、その横町を出ると、すぐ其処が
金剛寺坂という坂なので、私はもう一生懸命にその坂を中途まで下りて来ると、その時刻....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
同じく、また貝葉でなく紙本梵文にも逸品がある。三井園城寺大日経真言梵本一冊、河内
金剛寺普賢行願讃一冊、高野山無量寿院大涅槃経一軸がある。いつか刊行したいと思って....
「巷の声」より 著者:永井荷風
さと》である。むかしのままなる姿をなした雪駄直しや鳥さしなどを目撃したのも、是皆
金剛寺坂のほとりに在った旧宅の門外であった。雪駄直しは饅頭形の籐笠をかぶり其の紐....
「伝通院」より 著者:永井荷風
》になる事を禁じられて、それなり縁日には来なくなったらしい。 *
金剛寺坂《こんごうじざか》の笛熊《ふえくま》さんというのは、女髪結《おんなかみゆ....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
そうせんじ》の裏手から真崎《まっさき》へ出る溝川を思川《おもいがわ》、また小石川
金剛寺坂下《こいしかわこんごうじざかした》の下水を人参川《にんじんがわ》と呼ぶ類....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
四、五十軒をこえ、その上、近江の百済寺で造るのや、大和菩提寺の奈良酒だの、天野山
金剛寺の名酒だの、遠くは、博多の練緯酒までが輸入されてくる有様なので、請売りの小....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
な。川関にもかからず、地頭の領も経ずに、高野へ参るには、ただ一つ、ここより天野山
金剛寺の裏岳を越え、葛城から粉河へ出る細道のみでございますが」 「おう、それを択....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
の道も、千里潜行ともいえる辛苦をなめて来たであろう藤房。 たそがれ前に、錦織の
金剛寺の別坊にたどりつき、 「みことのりを帯びて、楠木家へ下向のもの」 と、告....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ころ覚えを取り出して、口のうちで読んだ。 五月十一日 着到 和泉党 百四十六人
金剛寺僧 九人 散所衆 四十五人 十三日深夜 備前国ヨリ帰参ノ衆 島....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
山上の御寺へ納めにおいでられる。――いやそんな御奇特は一再でない。さきにも天野山
金剛寺や観心寺やまた久米田寺などへも、同様な納経をしておいでになった。――すべて....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
。 「…………」 正成はさっきから赤鶴の仕事にしげしげと見とれていた。天野沢の
金剛寺前に住んでいる仮面打ちの老人で――越前の遠くから移住してきた者だと、この道....
「狐」より 著者:永井荷風
びがえ》しをつけた黒板塀《くろいたべい》で、外なる一方は人通《ひとどおり》のない
金剛寺坂上《こんごうじさかうえ》の往来、一方はその中《うち》取払いになって呉《く....
「それから」より 著者:夏目漱石
訪ねる気であった。から何時もの様に川辺《かわべり》を伝わないで、すぐ橋を渡って、
金剛寺坂を上った。 実を云うと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍|逢《あ....