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「金剛山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

金剛山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
いてその活動を開始したのである。 元来楠党は山地戦に巧みである。正成が千早城や金剛山に奇勝を博し得たのは、一に彼等の敏捷な山地の戦闘力に依ったのである。従って....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
草山の頂から大和の国の国見をすべく眼を放った。 夕である。 日はすでに河内の金剛山と思うあたりに沈んで、一抹殷紅色の残照が西南の空を染めて居る。西|生駒、信....
十二支考」より 著者:南方熊楠
て生まれたとか(一八七九年パリ板シニストラリの『婬鬼論』五五頁)、わが邦には古く金剛山の聖人|染殿《そめどの》后を恋い餓死して黒鬼となり、衆人の面前も憚《はばか....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
る法師かな 鳩笛も吹きならひけり湯治人 吹くうちに鳩居ずなりぬ野の曇り 綿取りに金剛山の道問ひぬ 山宿や軒端に注ぐ落し水 豹と呼んで大いなる蚊の残りたる 桟橋に....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
〕 柿本人麿歌集 人麿歌集出。朝妻山は、大和南葛城郡葛城村大字朝妻にある山で、金剛山の手前の低い山である。「片山ぎし」は、その朝妻山の麓で、一方は平地に接して....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
いない。 八月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 小杉放庵筆「金剛山萬瀑洞」(一)、安井曾太郎筆「十和田湖」(二)の絵はがき)〕 昨日はお手....
無人島に生きる十六人」より 著者:須川邦彦
、見あきることがなかった。 雲の峯は、いろいろにすがたをかえた。妙義山となり、金剛山となった。それがたちまち、だるまさんとなり、大仏さんとなった。ある時は、ま....
淡紫裳」より 著者:佐藤垢石
られるくらいだ。 名所は、行って見ると話に聞いたほどでもないのが普通であるが、金剛山だけは話以上に勝れた景観と風物を持っていると出発前に誰かが語った。まさにそ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
岐国から山陽道に出でたまい、かくて兵庫へ還御ならせられました。そのみぎり、楠公は金剛山の重囲を破って出で、天皇を兵庫の御道筋まで御迎え申し上げたその時の有様を形....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ねがあった時、岡倉校長は、これは楠公の生涯において最も時を得ました折のことにて、金剛山の重囲を破って兵庫に出で、隠岐より還御あらせられたる天皇を御道筋にて御迎え....
層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
也。その小箱に至るまでの神秘的光景は、耶馬渓になく、昇仙峡になく、妙義山になく、金剛山になし。天下無双也。層雲峡を窮めたる者にして、始めて巌峰の奇を説くべき也。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
」 「では、山を見るがいい」 「されば、左には摂津の六甲、龍王岳。右には、生駒、金剛山のはるかまでが霞の中に」 「右馬介は、今、山を見ている」 「確かに」 「だ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
書状を、おとどけ申しあげる先のお人とは、そも、どなた様でござりますな」 「河内国金剛山の西、水分山のほとりに住む、楠木多聞兵衛正成と申す者」 菊王は、鸚鵡返し....
私本太平記」より 著者:吉川英治
た。 富田芝(現・富田林)二里の曠野は陽蔭もなく、涸れ川のみなかみを見やれば、金剛山の巨大な胸に眼がつきあたる。卯木が十三、四の頃までいたふるさとの山すそは、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
より、はるか貴重な食品となる。 「久子」 正成は、庭でよんだ。 庭はひろい。金剛山を真正面にのぞみ、千早川を崖下にめぐらしている丘陵のここ一角は、庭といって....