金吾中納言[語句情報] » 金吾中納言

「金吾中納言〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

金吾中納言の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
《ささい》の事、機微の間にも洞察することを力《つと》めたものである。関ヶ原の戦に金吾中納言の裏切を大谷|刑部《ぎょうぶ》が必ず然様《そう》と悟ったのも其の為であ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
びやかな一軍の中の総大将と見ゆる錦の鎧直垂――まだ年少血気の一武将であった。 「金吾中納言殿」 大谷刑部少輔の左右の者が言った。大谷はうなずいた――やがてこの....
馬妖記」より 著者:岡本綺堂
んでいて、世に名島殿と呼ばれて尊敬されていたが、彼は慶長二年に世を去って、養子の金吾中納言秀秋の代になると、間もなく慶長五年の関ヶ原の戦いが始まって、秀秋は裏切....
明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
なぞと独り言をつぶやき、一時的にウワの空の状態がつづいたという。関ヶ原の時なぞも金吾中納言の裏切りが起る直前までというものは、味方の旗色が悪かったので、彼は全く....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
痺れた頭のしんで、かすかに、そんな気もする。 戦いは、味方の敗けと決まった。金吾中納言秀秋が敵に内応して、東軍とともに、味方の石田三成をはじめ、浮田、島津、....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
える。 「――見たか。織田信長公のお墓、明智光秀どののお墓、また石田三成どのや、金吾中納言様や、苔むした古い石には、源家の人々から平家の輩まで。……ああ数知れぬ....
大谷刑部」より 著者:吉川英治
その他、味方と数える者が、どれ程、腰がすわっているか、疑問ではないか、たとえば金吾中納言――浮田――そのほか。 いや、第一にである。 治部少輔三成という者....