金堂[語句情報] »
金堂
「金堂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
金堂の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「特許多腕人間方式」より 著者:海野十三
領土内ニ於テ存在シ、且|遍《アマネ》ク知ラレタルトコロニシテ、例エバ奈良唐招提寺
金堂ニ保管セラレアル千手観音立像ハ、四十臂ヲ有ス。仍リテ本願ハ其ノ出願以前ニ於テ....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
も地震には強いということがわかった。そしてわが国の気候によく適していた。法隆寺の
金堂や薬師寺の塔は木造建築の耐久性を示す注目すべき実例である。これらの建物は十二....
「仇討たれ戯作」より 著者:林不忘
たのである。 この「於竹大日」は、安永六年に芝の愛宕で開帳した出羽国湯殿山、黄
金堂玄良坊、佐久間お竹大日如来の縁起を材料にしたもので、その時にも青本が行われた....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
舞いとし、大黒柱を祭って宮中を鼠が荒さぬようまじのうたと見える。一昨々年冬高野の
金堂に詣《もう》で見ると、人の踏まぬ畳表が非常に損じ居る。同行の老僧からこれこと....
「大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
矢《や》も楯《たて》もたまらなくなって、此処に来てしまった。いま、秋の日が一ぱい
金堂や講堂にあたって、屋根瓦《やねがわら》の上にも、丹《に》の褪《さ》めかかった....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
。そして、聖徳太子の死んだのは、その皇妃の死んだ二月二十一日の翌日である。それは
金堂の釈迦像の光背の文字が示している通りである。ところが亀背上の文字は皇妃の死ん....
「夢殿殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
と、軒端の線が、大海を思わせるような大きな蜒りを作って押し冠さって来るのだ。その
金堂が、五峯八柱櫓のように重なり合った七堂伽藍の中央になっていて、方丈の玄関には....
「回想録」より 著者:高村光太郎
を踏襲しているが、お頭や手は丸で生きている人を標準にして刻んで附けている。法隆寺
金堂の薬師にもその傾きはあるけれども夢殿の観音の方が甚しい。あの御像は確かに聖徳....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
と、清らかさとはよく此の特質を示している。美の健康性がここに在る。 法隆寺
金堂の壁画 建国以来、日本にも国運上又は国政上に、危い、きわどい時機が幾度かあ....
「ドモ又の死」より 著者:有島武郎
だいぶわかってきてよ。 花田 な。そこに大俗物の九頭竜と、頭の悪い美術好きの成
金堂脇左門とが、娘でも連れてはいってくる。花田の弟になり切った俺がおまえといっし....
「痀女抄録」より 著者:矢田津世子
主調とする繍が施されて、その彩色の華麗は例えようもない。繍帳下部のほうに、法隆寺
金堂や玉虫厨子を思わせる様式の鐘楼があって、この中に緑の衣に紅い袈裟をつけた僧侶....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
余輩が明治三十八年五月を以て、所謂法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。当時余輩は現存の法隆寺
金堂・塔婆・中門等の古建築物に関して、該寺が天智天皇九年庚午四月三十日夜半の大火....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
輜重の荷駄隊がおもである。ゆるやかな動きにすぎない。 その間の小半日。天王寺の
金堂では、大般若経の転読がながれていた。この日、正成は先ごろの戦勝のお礼に、二頭....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
れ廃れていた。その一部は帝の配所として改修されてはあるものの、雨の日などは、元の
金堂の内陣も、雨漏りの音が不気味にひびいて、廊は傘をささねばあるけないばかりであ....
「仏法僧鳥」より 著者:斎藤茂吉
になって横わっているのを見たときには、高野山上をどうしても捨てがたかった。または
金堂の中にいて轟く雷鳴を聞きながら、空海四十二歳の座像を見ていたときなどは、寂し....