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「金毘羅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

金毘羅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
外科室」より 著者:泉鏡花
くいうな」 「ほんのこったがわっしゃそれご存じのとおり、北廓《なか》を三年が間、金毘羅《こんぴら》様に断《た》ったというもんだ。ところが、なんのこたあない。肌《....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
る城下の町に穀屋の店を持っている千倉屋伝兵衛という者であった。年来の宿願であった金毘羅まいりを思い立って、娘のおげんと下男の儀平をつれて、奥州から四国の琴平まで....
追憶」より 著者:芥川竜之介
はもの心のついたころからこれらの草双紙を愛していた。ことに「西遊記」を翻案した「金毘羅利生記」を愛していた。「金毘羅利生記」の主人公はあるいは僕の記憶に残った第....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
在のものが祭礼の衣裳なぞを借りにやって来る。太神楽もはいり込む。伊勢へ、津島へ、金毘羅へ、あるいは善光寺への参詣もそのころから始まって、それらの団体をつくって通....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
つ受けて来た人たちも、勢い生活の方法を替えないわけには行かない。伊勢へ、津島へ、金毘羅へ、御嶽へ、あるいは善光寺への参詣者の群れは一新講とか真誠講とかの講中を組....
狂乱」より 著者:近松秋江
。きけば、なるほどすぐ近いところである。 私は、心に勇みがついて、その足ですぐ金毘羅様の境内を北から南に突き抜けて、絵馬堂に沿うたそこの横町を、少し往ってさら....
足迹」より 著者:徳田秋声
に抱かれて寝た。お庄は子供を負って日に幾度となく自分の家と向うの家とを往復した。金毘羅で講元をしていた大きな無尽の掛け金を持って、お庄は取り縋るこの子供を負いな....
怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
ずに内へ取りによこす者もあり、四百の銭で伊勢参宮をする者もあり、二分の金を持って金毘羅参りをしたと云う話もあるから、旅はどうとも仕様によるものだから、そんな事を....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ら多少この縁日も衰えたとの事である。 その次に縁日の盛んなのは、十日の虎ノ門の金毘羅であった。これは京極の邸に在った。その邸の門を出入することも水天宮の如く甚....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
さんのお尻ぴいーんこ、ぴいーんこ」 と言ってからかった。 この妓は信心深く、金毘羅さんにお百度を踏んでいた。お百度参りというものを私は初めて知った。手を合わ....
取舵」より 著者:泉鏡花
と企てたり。 乗合は悲鳴して打騒ぎぬ。八人の船子は効無き櫓柄に縋りて、 「南無金毘羅大権現!」と同音に念ずる時、胴の間の辺に雷のごとき声ありて、 「取舵!」 ....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
重ねていよいよ文名を高くし、京伝に及ばずと自ら認めた臭草紙でも『傾城水滸伝』や『金毘羅船』のような名篇を続出して、盛名もはや京伝の論ではなくなっている。馬琴とし....
犬神」より 著者:小酒井不木
私の家にはたった一つ、代々伝わる家宝がある。それは何人が書いたともわからぬ「金毘羅大神」の五字を横にならべた長さ五尺ばかりの額で、よほど昔のものと見えて、紙....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
と考えて見ますと、やはり持ってきております。これは書いたものはありませぬけれども金毘羅社である。金毘羅神というのは王舎城の鎮守で王舎城の北の出口の所にある、向っ....
葛飾土産」より 著者:永井荷風
が、いつか普及せられてコスモスの流行《はや》るころには、西河岸の地蔵尊、虎ノ門の金毘羅《こんぴら》などの縁日《えんにち》にも、アセチリンの悪臭鼻を突く燈火の下に....