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鈴鹿峠
「鈴鹿峠〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鈴鹿峠の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「猿飛佐助」より 著者:織田作之助
、にわかに自信をなくし、すっかり自尊心を失いながら、とぼとぼと山を降り、やがて、
鈴鹿峠の麓の茶店へ腰を下すと、 「お茶を一杯下さい」 ひどく心細い声で言った。....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
郎の起床を待った。 丹三郎の不仕鱈には限りが無かった。草津、水口、土山を過ぎ、
鈴鹿峠にさしかかった時には、もう歩けぬとわめき出した。もとから乗馬は不得手で、さ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
十五 東海道、関《せき》 江戸へ百六里二丁 京へ十九里半 伊勢の国|
鈴鹿峠《すずかとうげ》の坂の下からこっちへ二里半、有名な関の地蔵が六大無碍《ろく....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
玉屋の息子のねむそうな声が一座を笑わせる。 ここに問題となった女は、机竜之助が
鈴鹿峠《すずかとうげ》の麓、伊勢の国|関《せき》の宿《しゅく》で会い、それから近....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
《かんざし》ばかりでありました。 竜之助がはじめて京都へ上る時に、同じこの国の
鈴鹿峠《すずかとうげ》の下で、悪い駕籠屋《かごや》からお豊が責められて、そのとき....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
笠をいただいて、長い打裂羽織《ぶっさきばおり》を着、野袴をはいた姿は、その昔見た
鈴鹿峠を越えた時の姿とよく似ています。歩みぶりといっても確かなもので、米友との間....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
なく、尾張の名古屋城の天主閣へ登った時、海が見えないとは言わないが、海を見るより
鈴鹿峠の山を遠く眺めて、歯ぎしりをしました。
今日只今ここに立って見ると、見ゆ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
抱されるでもなし、明るい日は一寸も独り歩きのできない身になって、その昔のように、
鈴鹿峠を越えて、上方《かみがた》の動乱の渦に捲き込まれようとする勇気もなかろうし....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
き》で馴染《なじ》んだお若さんというのはどうです」 「は、は、は」 「伊勢の国の
鈴鹿峠の下の関の宿《しゅく》から、お安くない御縁を結んだ、あのお豊さんとやらの心....
「桜の森の満開の下」より 著者:坂口安吾
蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。 昔、
鈴鹿峠にも旅人が桜の森の花の下を通らなければならないような道になっていました。花....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
日を経て、遂《つい》に同地の有志者|長井氏克《ながいうじかつ》氏らに送られつつ、
鈴鹿峠《すずかとうげ》に至り、それより徒歩あるいは汽車にて大阪に出《い》づるの途....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
々線香でもあげてくれ」 これが吉備彦の遺訓であった。 吉備彦は翌日家を出た。
鈴鹿峠までやって来ると山賊どもに襲われた。山賊に斬られて呼吸を引き取る時こういっ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
い。朝がたまで、旦那がこれから訪ねてゆく家の軒下でも借りてやすみ、朝になってから
鈴鹿峠を下って来る客を拾って帰ったほうが歩がいいし、それにまた、なんともこう寒く....