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「銀閣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

銀閣の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
、斎藤加賀守の庇護《ひご》を受け、京から東に移った。そしてここに住みついた。庭は銀閣寺のものを小規模ながら写してあるといった。 「室町も末になって、乱世の間に連....
競馬」より 著者:織田作之助
の娘《むすめ》を貰《もら》うつもりだったのだ。反対された寺田は実家を飛び出すと、銀閣寺|附近《ふきん》の西田町に家を借りて一代と世帯《しょたい》を持った。寺田に....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
まされていた。そんな野崎の気持がほかの二人にも乗り移って、結局わざわざ疏水伝いに銀閣寺の停留所附近まで出掛けて、珈琲をのんだりし、ろくに勉強も出来なかった。豹一....
思い出の記」より 著者:小泉節子
定済の札をはって貰いました。 京都を二人で見物して歩きました時に、智恩院とか、銀閣寺とか、金閣寺とかに廻りました。五銭十銭という拝観料が大概きまっています。ヘ....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
将軍義政で、秕政と驕奢が、その起因をなしたと云われる。 義満の金閣寺に真似て、銀閣を東山に建てたが、費用が足りなくて銀が箔れなかったなど、有名な話である。大体....
骨董」より 著者:幸田露伴
で、何といっても洒落た人だ。東山時分から高慢税を出すことが行われ出したが、初めは銀閣金閣の主人みずから税を出していたのだ。まことに殊勝の心がけの人だった。信長の....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
から一段低い畑田圃。入口は西にあって、墓は※形に並んで居る。古い処で寛文元禄位。銀閣寺義政時代の宝徳のが唯一つあるが、此は今一つはりがねで結わえた二つに破れた秩....
風流仏」より 著者:幸田露伴
く。姉様の是ほどの御病気、殊更御幼少のもあるを他人任せにして置きまして祇園清水金銀閣見たりとて何の面白かるべき、妾は是より御傍さらず御看病致しましょと云えば七蔵....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
大そう立派な庭園で、樹草泉石のえも言われぬ配合は、とても筆紙につくせませぬ。京の銀閣寺、金閣寺の庭園も数奇の限りを尽した、大そう贅沢なものとかねてきき及んで居り....
日本文化私観」より 著者:坂口安吾
握った将軍達は多いけれども、天下者の精神を持った人は、秀吉のみであった。金閣寺も銀閣寺も、凡そ天下者の精神からは縁の遠い所産である。いわば、金持の風流人の道楽で....
我が人生観」より 著者:坂口安吾
の一大損失だというけれども、私もたいがいの国宝建造物は見てまわったが、金閣寺も、銀閣寺も、法隆寺も、決して美しいというようなものではない。歴史とか、美術史とか、....
天衣無縫」より 著者:織田作之助
を、そう、きっと掛けていたことだろう。爺むさい掛け方で……。 やがて、あの人は銀閣寺の停留所附近から疏水伝いに折れて、やっと鹿ヶ谷まで辿りつく。けれど、やはり....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
って登ってゆく。 今、通って来た右側の樹立の奥に見えた築地と屋根が、東山|殿の銀閣寺であったらしい。ふと、振顧ると、そこの泉が棗形の鏡のように眼の下に見えたの....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
た所が、わたくしはこれでも生ッ粋の京都人ですよと誇ってわらう。まさか今さら祇園や銀閣寺へひっ張り廻しはしませんから安心していらっしゃいともいうのだ。こちらも信頼....