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「銅山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

銅山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
坑夫」より 著者:夏目漱石
と、どてらが、すぐに云う。自分は黙って聞いていた。 「実はこう云う口なんだがね。銅山《やま》へ行って仕事をするんだが、私が周旋さえすれば、すぐ坑夫になれる。すぐ....
護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
亀に帰って、文吉を松尾から呼んで僧を見させたが、それは別人であった。 伊予国の銅山は諸国の悪者の集まる所だと聞いて、一行は銅山を二日捜した。それから西条に二日....
仮装人物」より 著者:徳田秋声
て来たのであったが、小夜子はそれを鼻にかけることもなかった。三菱の理事とか、古河銅山の古参とか、または大阪の大きな工場主とか。彼女が暗い道を辿って来たのは、父が....
山本有三氏の境地」より 著者:宮本百合子
て、学年試験に三十五人のうち十七人落第させられる。その内の一人となる。八月、足尾銅山に遊び、処女作「穴」(一幕物)を書く。この作品は川村花菱氏を通じ伊原青々園の....
転機」より 著者:伊藤野枝
た土地で、渡良瀬という利根の支流の沿岸の村なのであるが、その渡良瀬の水源が足尾の銅山地方にあるので、銅山の鉱毒が渡良瀬川に流れ込んで、沿岸の土地に非常な被害を及....
開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
、仏法僧のなく音覚束なし、誰に助けらるるともなく、生命生きて、浮世のうらを、古河銅山の書記になって、二年ばかり、子まで出来たが、気の毒にも、山小屋、飯場のパパは....
明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
柳橋でならした美人である。大倉喜八郎夫人は吉原の引手茶屋の養女ということである。銅山王古川虎之助氏母堂は、柳橋でならした小清さんである。 横浜の茂木《もぎ》、....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
商のおもなる者は、鴻池、住友、平野、鹿島などであった。この中で住友は伊予の別子の銅山を元禄以来開いており、その地は幕府領ではあるが、私の藩が預かっていたから住友....
紅毛傾城」より 著者:小栗虫太郎
ような緑の髪も、惨苦と迫害の標章でのうて、なんであろう。そもじは、ネルチンスクの銅山にまで流れていき、髪にそのような、中毒が現われるまで、つらい勤めを続けたので....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
日清戦役が済んで遼東還附に関する問題が囂しく、また、東北三陸の大海嘯があり、足尾銅山鉱毒事件があり、文壇では、森鴎外の『めさまし草』、与謝野鉄幹の『東西南北』が....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
あります。そうして右製作の主任は私でありました。 これは住友家の所有である別子銅山の二百年祭の祝賀のために、別子銅山より採掘したところの銅を用いて何か記念品を....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
道理のことであります。 しかし、今は栃餅のはなしもなくなりました。その後、足尾銅山が開けて交通が便利になって以来、栃餅を食うことはやみました。銅山の仕事で、土....
墓が呼んでいる」より 著者:橘外男
の祖父……長女というのが、母ですわ。でも、祖父の鉱山といったところで、そう大きな銅山ではありませんのよ。その時分は、三流四流の小さな銅山だったということですけれ....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
演説会が終ってからも、せっかくここまで来たんだからというわけで、わたくしだけ足尾銅山に足を伸ばした。ところが足尾についてみると、東京が大変だというのであわてて帰....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
※申」の見懸人になって納まっているものが、またすこぶる多かったに相違ない。炭坑や銅山の穴の中に、犯罪者が多く隠れているという噂は今も聞く。浮世の光の十分届かぬ所....