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「鋳物師〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

鋳物師の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:芥川竜之介
に、その大団扇で煽《あお》いでくれい。それで少しは涼しくもなろうと申すものじゃ。鋳物師《いもじ》も陶器造《すえものつくり》も遠慮は入らぬ。二人ともずっとこの机の....
丹下左膳」より 著者:林不忘
、たいへんな事業でありました。 有名な水屋前の銅の鳥居も、この寛永寺の造築に、鋳物師|椎名兵庫《しいなひょうご》がつくったものであります。 この鳥居の費用が....
十二支考」より 著者:南方熊楠
に径五寸ばかりの円き瑕《きず》あり、土俗いわく、この鐘を鋳る時、一女鏡を寄附して鋳物師に与う、しかれども、心|私《ひそ》かに惜しんだので、その鏡の形に瑕生じたと....
黒百合」より 著者:泉鏡花
の植木屋の娘がある、美人じゃ。貴様知ってるだろう、あれがな、次助というて、近所の鋳物師の忰と出来た。先月の末、闇の晩でな、例のごとく密行したが、かねて目印の付い....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
もうなくなっているが、十五年ばかり前までは残っていた。一七九三年に一度、ひとりの鋳物師がそれを買い取って取りこわそうとしたが、代金を払うことができなかったので、....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
「これは、河内《かわち》で出来る『八代《やつしろ》』という変り蜜柑で、鍛冶屋や鋳物師《いものし》の二階の窓から往来《おうらい》へほおる安蜜柑じゃねえ。……ご親....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
とかくしている中、また一つ私の生活に変化が来ました。 それは牛込神楽坂の手前に軽子坂という坂があるが、その坂上に鋳物師で大島高次郎という人があって、明治十四年の博覧会に出品する作品に着手してい....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
何処で逢っても見覚えのついている人であった。 すると、或る夏のこと、先年、私が鋳物師大島氏の家にいた時分、その家で心やすくなっていた牧光弘という鋳物師があって....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
彫刻なら立体的に物の形が現われて都合が好いと考えたからであります。それで牛込辺の鋳物師の工場で、蝋作りを習って、蝋を捻って馬をこしらえました。 まだ、未熟では....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
のであったに相違ない。そしてその守り神を金屋子さんと呼んでいるのであろう。後世は鋳物師の事を多く金屋と呼んでいる。そしてその金屋子さんの氏子の漂泊的山子が、常民....
間人考」より 著者:喜田貞吉
いう義に用いられたのである。同じ著聞集に天王寺より京に上った中間法師が、山伏及び鋳物師と、遊女の家に泊り合した滑稽談があるが、この中間法師は実に当時の所謂下司法....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
続ける工人たちをよく見かけます。そういう町々には、紺屋町とか箪笥町とか塗屋町とか鋳物師町とか呼ぶ名さえ残ります。日本におけるそういう町の名を集めたら、面白い一冊....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
猿蓑』の、 押合うて寝ては又立つ仮枕 たゝらの雲のまだ赤き空 是は普通は旅の鋳物師の、朝早く立つ処と謂っているが、幸田さんは雲まで赤くなるようなタタラ吹きは....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
いわくなおつき合いであります。 又、池の主は領主の愛馬を引き込んだので、多くの鋳物師をよんで来て、鉄をとかして池の中へ流したともいいますが、どちらにしてもそれ....
丘の銅像」より 著者:新美南吉
。 銅像《どうぞう》は、馬のひく荷車にのせられて丘《おか》をくだり、となり村の鋳物師《いものし》のところまで、ごとごとと引かれていきました。鋳物師《いものし》....