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鎌倉殿
「鎌倉殿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鎌倉殿の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「伯爵の釵」より 著者:泉鏡花
再び、名もきかぬ三味線の音が陰々として響くと、 ――日本一にて候ぞと申しける。
鎌倉殿ことごとしや、何処にて舞いて日本一とは申しけるぞ。梶原申しけるは、一歳百日....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
がい》こそは敦盛《あつもり》を組みしきながら助くる段々、二心極まったり、この由、
鎌倉殿に注進せん――という声ではないが、起るべからざるところに、かまびすしい人声....
「余裕のことなど」より 著者:伊丹万作
と刺しちがえて死んでやろう。あつぱれものの用にもたつべき侍二人一ぺんに失わせて「
鎌倉殿の損とらせまゐらせん」とまで思つた。 「四郎待て!」 「おう、源太か、かけ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
在る所を睨めすえた。 「やいっ。――蹴ったな、蹴りおったな。神宮の禰宜どのから、
鎌倉殿へ御覧に入れようがため、おれどもが預かって、道中これまで護って来た大切な、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
とびこんで来たのは、物ノ具|鎧った山本時綱の姿だった。 「ややっ。おのれは」 「
鎌倉殿の御命でまいった。左近っ、のがれえぬところだ。あきらめろ」 「たわけた雑言....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ラどもだ。六波羅へ送られれば、どいつもこいつも、投げ込み墓に入るところを、これも
鎌倉殿のお情け。ありがたく心得ろ」 と、恩に着せて放った。 それらの釈放人の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
「え」 「瓶ノ原で捕まえた皇子宗良と四条ノ何とやらいう公卿さ。これでまあ俺も、
鎌倉殿の軍功帳に一ト筆書かれる身となったわえ。……ところで、きさまも何か一ト網か....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、道誉が昼酒に鬱を放っているその席で、 「察するに、何者かが、先ごろの旅先から、
鎌倉殿へ讒訴でもしたことではございませぬか。何かお心当りでも?」 と、主人の胸....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
そ、時が与えてくれた幸運だ。つかまねば自然の命にそむく。いや、いたさぬことには、
鎌倉殿へも相すむまい」 と、大乗り気で励ました。 「しかし、妻は」 と清高が....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ちに、一言先に申しておこう。不破ノ柵は今暁から閉じ申した。このほうは近江の守護、
鎌倉殿の代官だ。足利勢を通せとのかけあいならば、ごめんこうむる。ただし弓矢にかけ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
。退けまいが、はや退くがいい」 「思いもよらぬ仰せ。伊豆田方郡で重代ご恩をうけた
鎌倉殿の臣。退くほどなら斬り死にします。自分の郎党も目の前に死なせておるものを」....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
子には恋人ができた。それが蛭ヶ|小島に流されていた頼朝だった。当然、彼女はのちの
鎌倉殿の御台所となり、老いては、尼将軍政子とかがやく一生をもった。ところが妹の、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
。 義貞 直義 先代軍の北条時行 そして、今からはまた、尊氏が事実上の「
鎌倉殿」たる座にすわった。 さきに直義がいた二階堂御所は手ぜまなので、さっそく....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
大抵後までもエタの下と見られていたもので、世間からも余程軽くこれを扱っていた。「
鎌倉殿中問答記録」に、「鍛冶・番匠の様なる云甲斐なき者」と云い、「当道要集」に、....