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鎮台
「鎮台〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鎮台の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
、陛下に供奉して西下して居たが、西南の急変を知るや、直ちに奏して東京大阪広島の各
鎮台兵に出動を命じた。而して自ら戦略を決定したが、この山県の戦略が官軍勝利の遠因....
「山県有朋の靴」より 著者:佐々木味津三
、また長靴を光らしてこの別荘から出て行くと、忘れたころにぽつりぽつりと、どこかの
鎮台の将校の首が飛んで、そのあとへぽつりぽつりとまた一|足飛びの新らしい将校の首....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
びその臣属を助くべからずとの意味を読んだ。その翌二十二日には兵庫に裁判所を兼ねた
鎮台もできて、通禧がその総督に任ぜられたことも知った。 この空気の中ではあるが....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、すでに士族の常職を解いた者は従前に引き戻す事、全国の士族を配してことごとく六管
鎮台の直轄とする事、丁年以上四十五歳までの男子は残らず常備予備の両軍に編成する事....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
かが石ノ巻に奔《はし》ったとも取り沙汰《ざた》されていた。そこに置かれた新政府の
鎮台に、求めに応じて兵士となるためであった。彼らのわずかな面目は、彼らの暮し向き....
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
五代将軍と肩を並べている大官連の厚顔無恥振りに眥を決していた。そのうちに福岡にも
鎮台が設けられて、町人百姓に洋服を着せた兵隊が雲集し、チャルメラじみた喇叭を鳴ら....
「百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
づく思わせられる、それから以後、別々に母屋と寮との間に毎晩はなして寝かせて、鼠族
鎮台の役を勤めさせることにした。 斯《か》くてある中、一方に於ていよいよ野良猫....
「重兵衛さんの一家」より 著者:寺田寅彦
明治十四年自分が四歳の冬、父が名古屋
鎮台から熊本
鎮台へ転任したときに、母と祖母と次姉と自分と四人で郷里へ帰って小津の....
「郷土的味覚」より 著者:寺田寅彦
十余年後の記憶の中に浮上がって来るのである。自分の五歳の頃から五年ほどの間熊本|
鎮台に赴任したきり一度も帰らなかった父の留守の淋しさ、おそらくその当時は自覚しな....
「海水浴」より 著者:寺田寅彦
明治十四年の夏、当時名古屋
鎮台につとめていた父に連れられて知多郡の海岸の大野とかいうところへ「塩湯治」に行....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
ぶることが流行していた。フランス軍隊はオーストリアふうに白の服を着ていた。連隊の
鎮台といって、連隊の番号の代わりにその県の名前をつけていた。ナポレオンはセント・....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
をもって先生の教えに服していたこと、まことに不思議なほどであった。かの有名な栃木
鎮台田中正造翁もその一人であったが、翁はこの二十歳も年少な岡田先生を評して、 『....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ず過ぎ去った。 博多の探題邸は一城郭のおもむきをなしていた。いわば筑紫九ヵ国の
鎮台だ。少弐、大友、島津をはじめ鎮西の諸豪はみなもう駒をつないでいる風だった。 ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、遠い地の陸奥守顕家へたいしても、 直チニ発向セヨ の檄を飛ばし、 郷軍、
鎮台兵ノ全力ヲ挙ゲテ、北方ヨリ衝イテ上レ と逐次、朝命を急達していた。 しか....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
治十四年の盆踊りのあった翌朝のことだったという。二歳のとき、当時は家系の跡つぎは
鎮台(兵役)をのがれる特典があったので、米二俵を持って遠縁の井上家の死籍相続人に....