鎮守府[語句情報] » 鎮守府

「鎮守府〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

鎮守府の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
お時儀」より 著者:芥川竜之介
説に書いてあるような動悸《どうき》などの高ぶった覚えはない。ただやはり顔馴染みの鎮守府《ちんじゅふ》司令長官や売店の猫を見た時の通り、「いるな」と考えるばかりで....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の家がまだ三浦の姓を名乗っていた時代の遠い先祖のことがそこに出て来た。三浦の祖で鎮守府将軍であった三浦|忠通という人の名が出て来た。衣笠城を築き、この三浦半島を....
石狩川」より 著者:本庄陸男
智も持ちあわせてはおらんのか、つづいての尿前《しとまえ》ではまたしても総敗陣――鎮守府将軍八幡社に顔向けが出来ようか、われらの城地にこの神を勧請《かんじょう》さ....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
此のむずかしい場処の、むずかしい場合の、むずかしい役目を引受けさせられたのが鎮守府将軍田原|藤太秀郷《とうだひでさと》の末孫《ばっそん》と云われ、江州《ごう....
七宝の柱」より 著者:泉鏡花
の中は、真中に清衡、左に基衡、右に秀衡の棺が納まり、ここに、各|一口の剣を抱き、鎮守府将軍の印を帯び、錦袍に包まれた、三つの屍がまだそのままに横わっているそうで....
マダム貞奴」より 著者:長谷川時雨
のような島があると見て漕ぎつけた場所は、横須賀軍港の軍艦富士の横っぱらであった。鎮守府に呼ばれて訊問《じんもん》にあったが、全く何処とも知らず流されて来て、島か....
八幡太郎」より 著者:楠山正雄
しました。 四 するうちまた奥州に戦争がはじまりました。それは義家が鎮守府将軍になって奥州に下って居りますと、清原真衡、家衡という荒えびすの兄弟の内....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
四折本の題はこういうのであった。「クリトン将軍、コルンワリス将軍、並びにアメリカ鎮守府の提督らとかわしたる、ゼルマン卿の書信。ヴェルサイユ、ポアンソー書店、およ....
潜航艇「鷹の城」」より 著者:小栗虫太郎
こへ、英仏地中海艦隊の援助によって、墺太利沿岸封鎖が行われたのである。 ポーラ鎮守府をはじめに、トリエスト、セベニコ、カッタロ、テオド、ザラ等の各軍港が、ほと....
秋の筑波山」より 著者:大町桂月
につくしたり。宗広死するに臨みて、必ず賊を滅せよとさへ遺言したり。親房の子顕家、鎮守府将軍となりて陸奥に至りし時、親朝は評定衆、兼引付頭人となりて国政に参与した....
だいこん」より 著者:久生十蘭
てもいうことをきかない。飛行場を占領して門の前に機関銃を据えつけ、海軍の治安隊も鎮守府の査問官も寄せつけず、ありったけの海軍機を動員して、毎日、白《しら》じら明....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
て平武衡となす。当時あるいは平姓を冒したりしものか。御館藤原氏は秀郷以来あるいは鎮守府将軍たり、あるいは下野守たり、その他相当の地位を有せしもののごとく伝う。し....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
て憤慨せしめていたことは、次の事実からでも察せられる。嘉応二年五月二十七日、彼は鎮守府将軍に任ぜられた。当時右大臣であった兼実は、その日記『玉葉』にこれを記して....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
中部地方に頑張っておった蝦夷もこれには恐れ入ってしまいました。そこで彼は胆沢城に鎮守府を設けて蝦夷地経営東北守備の根拠地となし、さらにその北の紫波郡の地に志波城....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
余騎の兵を率いてこれに応じ、ついによく安倍氏を滅ぼすことが出来た。武則功をもって鎮守府将軍に任ぜられ、胆沢に移って威を奥州に振い、かねてこの仙北を領していたので....