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鎮守府将軍
「鎮守府将軍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鎮守府将軍の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の家がまだ三浦の姓を名乗っていた時代の遠い先祖のことがそこに出て来た。三浦の祖で
鎮守府将軍であった三浦|忠通という人の名が出て来た。衣笠城を築き、この三浦半島を....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
智も持ちあわせてはおらんのか、つづいての尿前《しとまえ》ではまたしても総敗陣――
鎮守府将軍八幡社に顔向けが出来ようか、われらの城地にこの神を勧請《かんじょう》さ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
此のむずかしい場処の、むずかしい場合の、むずかしい役目を引受けさせられたのが
鎮守府将軍田原|藤太秀郷《とうだひでさと》の末孫《ばっそん》と云われ、江州《ごう....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
の中は、真中に清衡、左に基衡、右に秀衡の棺が納まり、ここに、各|一口の剣を抱き、
鎮守府将軍の印を帯び、錦袍に包まれた、三つの屍がまだそのままに横わっているそうで....
「八幡太郎」より 著者:楠山正雄
しました。 四 するうちまた奥州に戦争がはじまりました。それは義家が
鎮守府将軍になって奥州に下って居りますと、清原真衡、家衡という荒えびすの兄弟の内....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
につくしたり。宗広死するに臨みて、必ず賊を滅せよとさへ遺言したり。親房の子顕家、
鎮守府将軍となりて陸奥に至りし時、親朝は評定衆、兼引付頭人となりて国政に参与した....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
て平武衡となす。当時あるいは平姓を冒したりしものか。御館藤原氏は秀郷以来あるいは
鎮守府将軍たり、あるいは下野守たり、その他相当の地位を有せしもののごとく伝う。し....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
て憤慨せしめていたことは、次の事実からでも察せられる。嘉応二年五月二十七日、彼は
鎮守府将軍に任ぜられた。当時右大臣であった兼実は、その日記『玉葉』にこれを記して....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
|久我長通が、すすんで彼へ辞令をさずけた。先の位記を一階|昇げ、あわせて武蔵守、
鎮守府将軍に任ず、という朝命だった。 そのうえにも、後醍醐は、 「わが諱(実名....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
たろうか。 「公卿補任」をみるに、 在、陸奥ノ府 陸奥守北畠|顕家 十一月十二日
鎮守府将軍ト為ル とあるに徴しても、この日すでに東征の用意があったのはあきらか....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、後醍醐もなにかにつけてよく仰っしゃるのは、奥州方面の消息だった。――みちのくの
鎮守府将軍――あの北畠|顕家は、なぜまだこれへ見えぬか――というお心待ちな焦躁で....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
余騎の兵を率いてこれに応じ、ついによく安倍氏を滅ぼすことが出来た。武則功をもって
鎮守府将軍に任ぜられ、胆沢に移って威を奥州に振い、かねてこの仙北を領していたので....