»
鐫
「鐫〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鐫の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
いそ》将官に位勲の牌を賜い佩用せしむるに、金また銀を鍍《めっき》した牌に獅の頭を
鐫《え》り付けたとあるが、ユールの註に拠るとマルコの書諸所に虎を獅と訛称しあるそ....
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
が下から朗かに照らしている。朧《おぼろ》に薄紅《うすくれない》の螺鈿《らでん》を
鐫《え》る。
鐫ると云うと硬過《かたすぎ》る。浮くと云えば空を離れる。この宵《よい....
「骨董」より 著者:幸田露伴
ったのである。そこでその定窯の鼎の台座には、友人だった李西涯が篆書で銘を書いて、
鐫りつけた。李西涯の銘だけでも、今日は勿論の事、当時でも珍重したものであったろう....
「陸判」より 著者:田中貢太郎
。緯は痛恨やや久しゅうして刀を抜いて見た。それは精巧な刀であったが、一行の文字を
鐫ってあった。それは胆欲方というのであった。 緯は後、官が司馬となって五人の小....
「登山の朝」より 著者:辻村伊助
ても雪ばかりで、右へ、右へと、岩に隔てられた道をとって、――左側はなおさらに急に
鐫ぐれているので、――もう足下になったシュレック・フィルンから、三時間半も登って....
「母親」より 著者:若杉鳥子
兄はある製作所の木版工の中から、優秀な技術者として抜擢され、現在では印刷局の
鐫工に雇われている。従って、この名人気質をぶらさげている彼と、みを子はどうしても....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
諸師父、さては妖怪に極《きま》ったと急いで相集まり、印環と強勢の符※《ふろく》を
鐫《え》り付けた鎖を、乞食体の真王に渡し、導いて宮に入ると、今まで王位に座しいた....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
古くオクスフォード伯の領所で、教区寺のオルガンの楽鍵ごとにその端に伯家の紋章豕を
鐫《え》りあるからと釈いた(今年一月十三日の『ノーツ・エンド・キーリス』三四頁)....
「王成」より 著者:田中貢太郎
ろうとすると、草の根もとに金の釵が一つ光っていた。王成が拾って視ると細かな文字を
鐫ってあった。それは儀賓府造という文字であった。王成の祖父は衡府儀賓、すなわち衡....
「葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
ね、寛政|子年の津浪に死骸の固っていた処だ。」 正面に、 葛飾郡永代築地 と
鐫りつけ、おもてから背後へ草書をまわして、 此処寛政三年波あれの時、家流れ人死....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
であって、笑名の名は狂歌の専門研究家にさえ余り知られていないが、その名は『狂歌|
鐫』に残ってるそうだ。 喜兵衛は狂歌の才をも商売に利用するに抜目がなかった。毎....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
真第二回の出帆計画の条に、僧十七人、玉作人、画師、彫仏、刻鏤、鋳、写繍師、修文、
鐫碑等工手、都合八十五人とあるによって判ずれば、鑑真が美術家を連れて来たがったこ....