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長享
「長享〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
長享の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
合印だ。吉左衛門はまた半蔵に言いつけて、別の箱の紐を解かせた。その中には、遠く慶
長享保年代からの御年貢|皆済目録があり、代々持ち伝えても破損と散乱との憂いがある....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
かと、恐ろしい緊張を顎骨や爪の根に漲らせることを忘れぬであろう。 応仁、文明、
長享、延徳を歴て、今は明応の二年十二月の初である。此頃は上は大将軍や管領から、下....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
べてみますというと、三喜は、寛正の六年に武州川越に生れたとあります。医師となって
長享元年に明国《みんこく》に入り、留まること十二年、明応七年に三十四歳で帰朝して....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
尽蔵』三上を引いて、足利義尚将軍の時、既に僧の妻を大黒と呼んだと証した。いわく、
長享二年十一月二十八日、宿房の大黒を招き、晨盤を侑《すす》む。その体《てい》蛮の....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
請文を出さぬ。そこで例の中沢重種を催促にやった。この催促の使が頻繁に派遣されて、
長享三年の春には一か月に三回くらいも出かけている。ただし濃州まで出張したのではな....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
ここに燕丹とはエタの事である。この説は既に室町時代に行われたもので、蔭涼軒日録(
長享二年八月十一日及び卅一日条)にもその事が見えている。燕丹のこともとより僻説取....
「埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
揆や宗教一揆は明らかに政治運動化して来た。文明十七年(一四八五)の山城の国一揆、
長享二年(一四八八)の加賀の一向一揆などはその著明な例である。これらは兼良の没後....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
間に心敬・一条兼良・太田道灌ら相ついで世を去り、宗祇は連歌界の第一人者となって、
長享二年(六十八歳)花の本の宗匠を允許され、北野神社連歌会所の奉行となった。その....