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「長元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

長元の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
お持ち物でもお前さまの御自由には相成りませぬと言い切った。その鎧は御先祖さまが慶長元和|度々《どど》の戦場に敵の血をそそいだ名誉のお形見で、お家《いえ》に取って....
恩を返す話」より 著者:菊池寛
家中の若者が一座して、武辺の話が出る時は、必ず島原一揆から例を引いた。ことに、慶長元和《けいちょうげんな》の古武者が死んで行くに従って、島原で手に合うた者が、実....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
日。大火山其勢甚|熾。 寛平七年十一月。神火埋。 長保元年三月七日。富士山|焚。長元五年十二月十六日。富士山焚。 永保三年二月二十八日。富士山焼燃焉。 永正八年....
十二支考」より 著者:南方熊楠
家猪があった事は既述した通りだが、更に寺石正路君の『南国遺事』九一頁を見ると、慶長元年九月二十八日土佐国浦戸港にマニラよりメキシコに通う商船漂着し、修理おわって....
連環記」より 著者:幸田露伴
いる。そして寂照は其儘に呉に在ったこと三十余年、仁宗の景祐元年、我が後一条天皇の長元七年、「雲の上にはるかに楽の音すなり人や聞くらんそら耳かもし」の歌を遺して、....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
国が強く、奈良では東大寺の巨鐘が落ちた。山城、大和の強震は、その後寛治五年にも永長元年にも治承元年にもあって、東大寺に災してまた巨鐘を落した。 元暦二年七月の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ぶみを比較していただいちゃあ、迷惑千万でございますね」 「三田の薩摩屋敷には、慶長元和、太閤伝来の大分銅《だいふんどう》を目にかけて、そいつを手に入れようと江戸....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
つらないわけにはいかなかったろう。彼の帰依者はまし、反響は大きくなった。そこで弘長元年五月十二日幕吏は突如として、彼の説法中を小町の街頭で捕えて、由比ヶ浜から船....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
五十四歳、『新勅撰集』奏覧から十七年目であった。 それから十年目の亀山天皇の弘長元年に、後嵯峨院の仰せによって、『弘長百首』(『続群書類従』)が行われた。為家....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
州にあばれた頃は、ここに源|経基が対峙していたことがあり、またそれから八十年後の長元年間には、平|忠恒が叛乱に際し、源頼信は征夷大将軍に補せられて、鬼丸の御剣を....
春水と三馬」より 著者:桑木厳翼
も咀嚼して日本流或は寧ろ戯作本流にしたものだと思う。文禄時代の羅馬字訳を初とし慶長元和以来古活字本となり、其他の諸版で世間に流布したのが、遂に此戯作者の筆にまで....