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「長光〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

長光の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
おしの」より 著者:芥川竜之介
。しかしまだ一度も敵の前に後《うし》ろを見せたことはございません。去《さ》んぬる長光寺《ちょうこうじ》の城攻めの折も、夫は博奕《ばくち》に負けましたために、馬は....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
いた両手をぶるぶると震わせたかと思うと、どうにも堪らないように、小姓の持っていた長光《ながみつ》の佩刀《はいとう》を抜き放って、家老たちの面前へ突きつけながら、....
芽生」より 著者:島崎藤村
、それから五月の花のたぐいで、死んだ子供の骸《から》を飾った。 墓地は大久保の長光寺と言って鉄道の線路に近いところにあった。日が暮れてから、植木屋の亭主に手伝....
婦系図」より 著者:泉鏡花
を遣る。望む処は凡才で間違いの無いのが可いのだ。正々堂々の陣さ、信玄流です。小豆長光を翳して旗下へ切込むようなのは、快は快なりだが、永久持重の策にあらず…… ....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
他は云うに足りない。此の九月十日の合戦こそ甲越戦記のクライマックスで、謙信が小豆長光の銘刀をふりかぶって、信玄にきりつくること九回にわたったと言われている。 ....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
ますな」 「俺はよい物を手に入れたよ」 「お前様のことだ名刀ででもあろうよ。小豆長光の名刀かな」 「いやいや違う、そんなものではない」 「ははあ、そうか、これは....
巌流島」より 著者:直木三十五
織をつけて草鞋《わらじ》履きである。刀は三尺二寸五分、物干竿と名づけたる備前鍛冶長光《びぜんかじながみつ》の刀、武蔵が渚づたいに歩んでくるを見るとともに腰掛を離....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
かお》を包み、萌黄《もえぎ》の胴肩衣《どうかたぎぬ》、月毛の馬に乗って三尺余りの長光《ながみつ》を抜き翳《かざ》した英雄が、サッと波打際に現われる。青貝の長柄の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の武蔵鐙《むさしあぶみ》に紫|手綱《たづな》でござりました、という者もあります。長光《ながみつ》の太刀だというものもあれば、弁慶の薙刀《なぎなた》だと伝える者も....
丹下左膳」より 著者:林不忘
に流れた乾雲がバリバリッ! と音をたてて、障子の桟《さん》を斬り破ったと見るや、長光を宙になびかせて左膳の頭上に突進した。 が、さいたのは敷蒲団と畳の一部。 ....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ドで『婦人公論』が一つの座談会をやりました。岡山に国立の癩療院があって、そこの院長光田という先生は、日本で明治三十年代に初めて癩の国家施設をつくったその当時から....
決戦川中島 上杉謙信の巻」より 著者:坂口安吾
まう一瞬であった。余も、あせっていた。必死に馬を走らせ、また馬を踏み止めて、順慶長光の太刀ふりかぶり、 「信玄、覚悟!」力いっぱいふり下した。 「下郎、さがれ!....
正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
のです。私はこれから自殺いたします。私の首を討ち落とそうと、覚善坊はもう先刻から長光の太刀を引き着けて私の様子を窺っています。 私の心は今静かです。実に限りな....
備前天一坊」より 著者:江見水蔭
儀で御座りまする」 「遠慮とあればそのままで好いが、中身は当国|長船の住人初代|長光の作じゃ」 「へえ――」 「これを御所蔵のこの御方は、仮に小笠原の苗字を名乗....
小説 円朝」より 著者:正岡容
置き、再び馬に勢いつけて」 カチン、カチリカチカチ。 「パッパッパと進み寄り、長光の太刀にてエイとばかりに切ってかかる」 カチ、カチャン。 「心得たりと武田....