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長十
「長十〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
長十の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠義」より 著者:芥川竜之介
いぶん》があったのは、数えるまでもない。その弟の主水重昌《もんどしげまさ》は、慶
長十九年大阪冬の陣の和が媾《こう》ぜられた時に、判元見届《はんもとみとどけ》の重....
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
将忠直卿は、二十一になったばかりの大将であった。父の秀康卿《ひでやすきょう》が慶
長十二年閏四月に薨《こう》ぜられた時、わずか十三歳で、六十七万石の大封を継がれて....
「藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
若き俳優 中村四郎五郎 同じ座の立役 嵐三十郎 同上 沢村
長十郎 同上 袖崎源次 同じ座の若女形 霧浪あふよ ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
伝兵衛、青山の下駄屋石坂屋由兵衛、神田の鉄物屋近江屋九郎右衛門、麻布の米屋千倉屋
長十郎の六人を召し捕って、一々厳重に吟味すると、果たして彼等一同共謀の贋金つかい....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
日、三十一歳で死んでいる。その三周忌のひと月かふた月前のことであるというから、慶
長十年の晩秋か初冬の頃であろう。 当代の忠義に仕えている家来のうちに、百石取り....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
記録が、歴史あって以来富士に関する最も有名の爆発であるが、尚西教史による時は、慶
長十二年富士焚とあり、また甲信譜による時は、享禄以降元亀天正まで富士不断に煙りを....
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
。 「尾張名古屋は城で持つ」と、俚謡にまでも唄われている、その名古屋の大城は、慶
長十四年十一月から、同十六年十二月迄、約二ケ年の短日月で、造り上げた所の城である....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
び寄せ、朝命をもって死を賜うということを宣告した。なお、佐幕派として知られた安井
長十郎以下十一人のものを斬罪に処した。幼主元千代がそれらの首級をたずさえ、尾張藩....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
もらい受けて住家として、旧吉田の郷に置いたのを、元亀三年、上吉田の本町に移し、慶
長十五年、更に現在のところに転じたのだそうで、吉田にたびたび火災はあっても、不思....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
正確なことは分らないのである。系図の初代津右衛門長女さだ、その下に記入の歿年、慶
長十八年七月二十日、という日附があって、はじめて全てが解明する。 日本歴史に通....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
卯の花は阿部家滅亡の雰囲気のなかにくっきりと花を咲かせていたが、それとは別に内藤
長十郎|殉死の事がその前段にある。そこでは、丈の高い石の頂を掘り窪めた手水鉢に捲....
「怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
だけは取留めていたという」 「その石見守は疾くに死去なされました筈」 「おう、慶
長十八年四月に頓死したが、本多上野介正純が石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに闕....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
また盗賊を捕えた時には、その身付の衣服をも貰う権利を与えられていました。これは慶
長十七年の片桐且元のお墨付がありまして、徳川時代になっても、確かにそれが元禄頃ま....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
いるだけであるが、その当時もエタの様に疎外されていたとは思われぬ。しかも彼らは慶
長十七年に片桐且元のお墨付を頂戴して、町方なり、湯屋・風呂屋・傾城屋などの営業者....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
。彼らは兵庫の津に付属して、地方の警察事務に従事していたのである。これに対して慶
長十七年に、大坂の奉行片桐且元から、その報酬すなわち扶持を規定した文書を与えられ....