長尾[語句情報] » 長尾

「長尾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

長尾の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
》に、驚くような事が出来たのでございます。 それはもう秋風の立ち始めました頃、長尾《ながお》の律師様《りっしさま》が嵯峨《さが》に阿弥陀堂《あみだどう》を御建....
わが町」より 著者:織田作之助
の岩谷書記は神戸渡航合資会社の稲葉卯三郎をケノン少佐に推薦した。稲葉卯三郎が通訳長尾房之助を帯同、政庁を訪れると、ケノン少佐は移民法に接触してはならぬからと口頭....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
し、「諏訪|南宮上下大明神」と一行に大書した旗も用いていた。 上杉謙信は、元、長尾氏で平氏である。元来相州長尾の荘に居たので、長尾氏と称した。先祖が、関東から....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
がら峨ヶ岳の峰に続いている。駿州境には雨ヶ岳同じく竜ヶ岳が聳えていたが、大室山、長尾山、天神峠の山々を隔てて富士の霊峰の峙っているのはまことに雄大な景色である。....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
噴気口を行列させている。だれでも目につく大室山を先手にして、その後に寄り添って、長尾山、片蓋山、天神山、弓射塚、臼山など、富士山を御本丸として大手からめ手に、火....
箱根熱海バス紀行」より 著者:寺田寅彦
係の用向きで小田原へ行ったついでに半日の暇を盗んで小涌谷まで行ったのと、去年の春長尾峠まで足を使わない遠足会の仲間入りをした外にはほとんど馴染のない土地である。....
四国遍路日記」より 著者:種田山頭火
(昨夜も)、水で身体を拭いたが肌寒を感じた。 十一月三日 晴、行程八里、牟岐、長尾屋。 老同行と同道して、いつもより早く出発した。 峠三里、平地みたいになだら....
剣侠」より 著者:国枝史郎
更に下って足利時代に入り、鎌倉の公方足利成氏、管領上杉|憲忠を殺した。憲忠の家臣長尾|景晴、これを怒って手兵を率い、立川原で成氏と戦い、大いに成氏を破ったが、こ....
商売の繁昌する家」より 著者:田中貢太郎
みると、 「これには面白い話があるよ」 と冒頭して話した。 「わかもと」の主人長尾|欽弥君がそこへ入って、製薬に著手した時には、貧乏のどん底であったが、忽ちめ....
作画について」より 著者:上村松園
、それが素養とも基礎ともなったものでした。 ですから皆それぞれ漢学の塾へ通い、長尾雨山先生の長恨歌などのお講義はよく聴いていたものでした。 また、寺町本能寺....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
心としての野戦の如き、彼我の五、六の大将が頻りに一騎打の勇戦をしているが、上杉・長尾・千葉・滸我らを合すればかなりな兵数になる軍勢は一体何をしていたのか、喊の声....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
目を肥やしておかなくてはならないようでございます。若い時は市村水香先生に漢学を、長尾雨山先生に漢詩の講義など聴いて勉強いたしました。時代時代の衣裳の研究に、染色....
想い出」より 著者:上村松園
で、その時分、都路華香さん、澤田撫松さんなど御一緒でした。その後先生が亡くなり、長尾雨山先生に就いて矢張漢学を勉強致しましたが、この漢学から受けた知識は、唐美人....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ら美濃の郡上城に赴いて常縁から古今の伝授を受けたのである。 その後文明九年には長尾景春に招かれ、文明十二年には大内正弘に招かれて、周防山口に下り、さらに筑紫に....
料理一夕話」より 著者:北大路魯山人
し大きな店を出したら、と言われているうちに、星岡の話があった。建築が気に入って、長尾半平という方の紹介で、藤田謙一氏から借り受けるようになって、あそこで商売する....