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長州征伐
「長州征伐〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
長州征伐の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「乱世」より 著者:菊池寛
るというからな。長州人と我々とは、元治以来、犬と猿のように啀み合っているからな。
長州征伐の時、幕府の軍勢が浪花を発向の節、軍陣の血祭に、七人の長州人を斬ったこと....
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
戦前の形勢 再度の
長州征伐に失敗して、徳川幕府の無勢力が、完全に暴露された。この時既に長州は薩摩と....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
いて行って見たのは二十三日のことであったが、そこに人だかりのする高札場にはすでに
長州征伐のお触れ書が掲げられていた。 七月二十九日はちょうど二百十日の前日にあ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
まざまが、眼前の霜葉枯れ葉と共にまた多くの人の胸に帰って来た。 今さら、過ぐる
長州征伐の結果をここに引き合いに出すまでもないが、あの征伐の一大失敗が徳川方を覚....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
りは旧士族ばかりでなく一般の人々の気受けも薩摩の捷報をよろこぶ色がある、あだかも
長州征伐の時のようだなど言い触らすものさえある。きのうは宵の空に西郷星が出たとか....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
原、国司、益田の三家老は歯噛みをしつつ本国へ引上げるということになって、その後が
長州征伐の結末は、毛利公の恭順と、例のその三家老の首を斬って謝罪するということで....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ならないはずですから。 ところがその鰡八大尽は洋行の留守中であり、江戸の武家は
長州征伐というわけで、風雲の気はおのずから西に走《は》せてしまったようなあんばい....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しくないかは知れないが、いよいよ事実になってみると愚劣を極めたものでした。最初の
長州征伐は、どうにかこうにかお茶を濁して幕府の面目をつないだけれども、二度目とな....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
のこの名城の重味やいかに。
存在の価値の評価は如何《いかん》。
このほどの、
長州征伐の総督の重任を蒙《こうむ》ったのは、この城の城主、尾張大納言徳川慶勝では....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、子分のなかでも気の早いデモ倉というのが堪り兼ねて、 「先生、あれでいいですか、
長州征伐の兵隊たちは艱苦《かんく》のうちに、引くことも進むこともできねえで困って....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、刀の持てなかった人はかなりに多く、甲冑《かっちゅう》の着ように戸惑いしたのは、
長州征伐の時の江戸の旗本の大部分のみとは限らないでしょう。 平常の修練がないか....
「近藤勇と科学」より 著者:直木三十五
た隊土に、戦争の経験談を話した。 「火縄銃の外、御前なんか、鉄砲を知らんだろう。
長州征伐の負けたのも、その為だ。舶来鉄砲には、第一に三つぼんど筒というのがある。....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
干渉の憂ありしとせんか、その機会は官軍東下、徳川|顛覆の場合にあらずして、むしろ
長州征伐の時にありしならん。
長州征伐は幕府|創立以来の大騒動にして、前後数年の久....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
身またその説に誤られて、朝鮮との関係を云為するものがないではなかった。慶応四年に
長州征伐の功によって、弾左衛門がエタの肩書きを除かれた例にならって、大阪の渡辺村....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
らるべき者ではありません。果たせるかな、徳川時代の末において旧幕府は、まずもって
長州征伐の功によって、浅草弾左衛門及びその囲内の者等を解放して平民にのぼせました....