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「長徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

長徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
自叙伝」より 著者:大杉栄
埓だときめてしまった。そして校長擁護の一大運動を起すことにきめた。 翌日すぐ、長徳寺というのに学生大会が開かれて、二年三年四年の全生徒は校長と運命をともにする....
連環記」より 著者:幸田露伴
るが、匡衡の文の日付は長保四年十二月九日とある。然るに続往生伝には、寂心の往生は長徳三年とあって、五年ほどの差がある。続往生伝は匡衡の孫の成衡の子の匡房の撰だか....
余録(一九二四年より)」より 著者:宮本百合子
云って居る。 二十三で権中納言、二十七で従二位中宮太夫となった道長は、三十歳の長徳元年、左近衛の大将を兼ねるようになったが、その前後に、大臣公卿が夥しく没した....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
さる」 手拍子パチパチ。 「そば粉三袋、牛蒡《ごぼう》十|把《ぱ》、六はら村の長徳寺様より西町の芋七へ下さる」 手拍子パチパチ。 「半紙十帖、煮付物一重、三....
真鬼偽鬼」より 著者:岡本綺堂
しまいました。それでもいい加減に見当をつけて、川岸づたいに歩いて行くと、あすこに長徳院という寺があります。その寺門前の川端をならんで行くのが、どうも伊八とお園の....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
るところが甚だ多い。 康平記、康平五年正月二十日条、 左近少将政長為。 小右記長徳二年八月条、 手長乎。 台記仁平四年正月十四日条、 景良雖 玉海、仁安二....