長沙[語句情報] » 長沙

「長沙〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

長沙の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
湖南の扇」より 著者:芥川竜之介
* 大正十年五月十六日の午後四時頃、僕の乗っていた※江丸《げんこうまる》は長沙《ちょうさ》の桟橋へ横着けになった。 僕はその何分か前に甲板の欄干《らんか....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
乳母が抱えて裏門から逃げ出して、他家に隠れて幸いに命を全うした。 蛟を生む長沙の人とばかりで、その姓名を忘れたが、家は江辺に住んでいた。その娘が岸へ出て衣....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
一枚の紙をあたえると、熊は詩を書かないで、思いも寄らないことを書いた。 自分は長沙の人で、姓は金、名は汝利というものである。若いときにこの乞食に拐引されて、ま....
連城」より 著者:田中貢太郎
という容をした。連城は喬にいった。 「この方は私と同姓で、賓娘さんというのです。長沙の史太守の女さんです。来る時|路が一緒でしたから、とうとう二人でこうして仲好....
俳人蕪村」より 著者:正岡子規
》 雪信《ゆきのぶ》が蝿《はへ》打ち払ふ硯《すずり》かな 孑孑《ぼうふり》の水や長沙《ちゃうさ》の裏長屋 追剥《おひはぎ》を弟子に剃りけり秋の旅 鬼貫《おにつら....
三国志」より 著者:吉川英治
た間もなく、近年各地に蜂起した賊では、漁陽(河北省)を騒がした張挙、張純の謀叛。長沙、江夏(湖北省・麻城県附近)あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだった。 「....
三国志」より 著者:吉川英治
すると、声に応じて、 「われ赴かん」 と、旗指し物を上げて名乗った者がある。長沙の太守|孫堅であった。 この暁。 洛陽の丞相府は、なんとなく、色めき立っ....
三国志」より 著者:吉川英治
ある。 呉は、大江の流れに沿うて、「江東の地」と称われている。 ここに、呉の長沙の太守|孫堅の遺子孫策も、いつか成人して、当年二十一歳の好青年となっていた。....
三国志」より 著者:吉川英治
玄徳はまず民を安んじ、一日城内を巡視して劉泌の邸へ入った。 県令の劉泌は、もと長沙の人で玄徳とは、同じ劉姓であった。漢室の宗親、同宗の誼みという気もちから特に....
三国志」より 著者:吉川英治
なって、城外へ逸走してきたが、すでに玄徳は遠く去ってしまったので、やむなくひとり長沙へ落ちて、後、長沙の太守|韓玄に身を寄せた。 さて、玄徳はまた、数万の百姓....
三国志」より 著者:吉川英治
よろしいかと思われます」 「その四郡の現状は」 「――武陵には太守|金旋があり、長沙には韓玄、桂陽には趙範、零陵には劉度などが、おのおの地盤を占めております。こ....
三国志」より 著者:吉川英治
州は還し難し、軍師の悲嘆は黙し難し。……そうだ、ではこうしてつかわす。荊州のうち長沙、零陵、桂陽の三郡だけを呉へ還してくれる。それなら呉の面目も立ち、瑾の妻子も....