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長門
「長門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
長門の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
《わせい》であった。 大坂の落城は、もう時間の問題であった。後藤又兵衛、木村|
長門《ながと》、薄田隼人生《すすきだはいとのしょう》ら、名ある大将は、六日の戦い....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一軒もなかったのである。小川町の歩兵屯所も土屋|采女正《うねめのしょう》と稲葉|
長門守《ながとのかみ》の屋敷の建物はみな取り払われて、ここに新らしい長屋と練兵の....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
分の勤めている大阪屋を焼いただけで、そんな大火を起したのじゃあありません。梅津|
長門という浪人者を逃がすために、自分の部屋へ火を付けたとかいう噂もありますが、そ....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
であった。 そのまた左翼にやや遅れて、我が艦隊の誇るべき主力、旗艦|陸奥以下|
長門、日向、伊勢、山城、扶桑が、千七百噸級の駆逐艦八隻と航空母艦|加賀、赤城とを....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
ろう。本庄正宗の大刀を腰にすると忽ち栗毛の馬に乗った。城内から出た時は小姓の岩室
長門守、長谷川橋介、佐脇藤八、山口飛騨守、賀藤弥三郎の五騎に過ぎない。そのまま大....
「天守物語」より 著者:泉鏡花
しく蔵込んであって、かび臭い。蘭麝の薫も何にもしません。大阪城の落ちた時の、木村
長門守の思切ったようなのだと可いけれど、……勝戦のうしろの方で、矢玉の雨宿をして....
「太平洋魔城」より 著者:海野十三
に強くとも、東京湾の防備が、いかにかたくとも、あの怪力線砲をぶっとばせば、陸奥も
長門もないからねえ。いわんや敵の空軍など、まあ、蠅をたたきおとすようなものだ」 ....
「空襲下の日本」より 著者:海野十三
原の辺で砲火を交えている日米の主力艦隊の運命が決っている頃だろうが、きっと陸奥や
長門は、ウエストバージニアやコロラドを滅茶滅茶にやっつけているだろうと思うよ」 ....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
趣向も彼に適当したものである。これは明治二十二年六月、大坂屋花鳥(坂東家橘)梅津
長門(市川猿之助)佐原の喜三郎(中村駒之助)等の役割で、通し狂言として春木座に上....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
照らしてやって来たが百人あまりの同勢であった。 「藪氏、あれこそ毛利侯じゃ」 「
長門国萩の城主三十六万九千石毛利大膳大夫様でござりますかな」 「さよう。ずいぶん....
「赤格子九郎右衛門の娘」より 著者:国枝史郎
をしていた人物、剣道無類の達人である。 係りの奉行はその時の月番東町奉行志摩|
長門守で捕方与力は鈴木利右衛門であった。 処刑された時の九郎右衛門の年は四十五....
「平家蟹」より 著者:岡本綺堂
二 ほかに那須の家来。浜のわらべなど (一) 寿永四年五月、
長門国壇の浦のゆうぐれ。あたりは一面の砂地にて、所々に磯馴松の大樹あり。正面には....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
いと忝き事と和みて、無為なるべく奏しけり。 これは幕府の吏員を夷といえるなり。
長門本『平家物語』に、 義盛が申しけるは、如何に和殿は何処へとてましますぞ、屋....
「青春の息の痕」より 著者:倉田百三
ためと思われます。私はあれからたびたび家を出ようと思いました。そして本田さんには
長門の秋吉村の本間氏の大理石切場に行くように、また文之助君には京都在の西田天香と....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
階級に比すべきものであったのである。 右例示したところは単に阿波・土佐・周防・
長門・隠岐の五箇国に関するもののみで、範囲は極めて狭小であるが、これはこれらの地....