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門人
「門人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
門人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
この二つであろうとは誰でも思い付くことであるので、江戸じゅうの槍術|指南者やその
門人たちが真っ先に眼をつけられたが、その方面では取り留めた手がかりもなかった。さ....
「闖入者」より 著者:大阪圭吉
どく急進的なのに反して、亜太郎自身の画風はどちらかと云うと穏健で、写実派の白亭の
門人だけに堅実な写実的画風を以てむしろ特異な新人として認められていた。ところが度....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
のみを収集した。 これに連関して小堀遠州に関する話を思い出す。遠州はかつてその
門人たちから、彼が収集する物の好みに現われている立派な趣味を、お世辞を言ってほめ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
るかな」 其月の家には大勢の人があつまっていた。半七が出たあとでだんだんにその
門人や知人などが寄って来たらしく、茶の間の六畳と女中部屋の三畳とに押し合って坐っ....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
。 父は若いときから俳諧が好きでして、下手か上手か知りませんが、三代目夜雪庵の
門人で羅香と呼んでおりまして、すでに立机の披露も済ませているのですから、曲りなり....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
今晩深更におよび、猶又まかり越し候て、受納いたすべく候 さて又拙者事、なにがしが
門人にて、年来剣術柔術等修行いたし、松浦流と申す一流をたて候へども、諺にいふ生兵....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
き止めることが出来ない。ただ一つの希望は「歴史癖と考証|好」で有名な胡適之先生の
門人|等が、ひょっとすると将来幾多の新|端緒を尋ね出すかもしれない。しかしその時....
「怪異暗闇祭」より 著者:江見水蔭
一 天保の頃、江戸に神影流の達人として勇名を轟かしていた長沼正兵衛、その
門人に小机源八郎というのがあった。怪剣士として人から恐れられていた。 「小机源八....
「三人の師」より 著者:上村松園
いう時にお訣れしなければならなかったことはまことに残念であった。 先生の歿後、
門人たちは相談の末に楳嶺門四天王の塾へそれぞれ岐れることになったのである。 菊地....
「茶屋知らず物語」より 著者:岡本かの子
が、筆者自身の円通さえ読めないという始末。けれども円通は一向平気でした。 「私の
門人のSという男が、私の字を読み慣れている。これは其の方へ持って行って読みこなし....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
あろう。馬琴が京伝や蔦重の家を転々して食客となり、処女作『尽用而二分狂言』に京伝
門人大栄山人と署したは蔽い難い。僅か三歳でも年長者であるし、その時既に相応の名を....
「棲霞軒雑記」より 著者:上村松園
めて有難くいただいてその家を辞した。 芭蕉翁が金沢の城下を訪れたある年のこと、
門人衆や金沢の俳人衆の歓迎の句会に山海の珍味を出されたのをみて、我流にはこのよう....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
一に、一、浅草川船中にて怪霊に逢う事、というのがある。 当時の俳諧師、雪中庵の
門人、四五輩。寛延|年不詳、霜月のしかも晦日、枯野見からお定まりの吉原へ。引手茶....
「今日になるまで」より 著者:上村松園
進歩があります。 私の母は昭和九年の二月、八十六歳の高齢で歿しました。今では、
門人が写してくれた大きな写真を仏間にかけて、旅に出るときなど、「行って参ります」....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
のも、諸君のすでに記憶される通りである。それから、前には出なかったが雅経も定家の
門人であった。清範・家長は院の近臣で、秀能は歌熱心で御寵愛になった北面の武士だか....