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門弟
「門弟〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
門弟の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
山陰《さんいん》に名だたる剣客であった。それだけにまた彼の手足《しゅそく》となる
門弟の数も多かった。甚太夫はそこで惴《はや》りながらも、兵衛が一人外出する機会を....
「無名作家の日記」より 著者:菊池寛
を、林田氏の紹介によっておいそれと引き受ける雑誌が中央の文壇にあるだろうか、また
門弟でもなんでもない佐竹君のものを、林田氏が気を入れて推薦するだろうか? あの人....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
で、岩下左内の町道場も相当に繁昌して、武家の次三男と町人とをあわせて二、三十人の
門弟が毎晩詰めかけていた。師匠の左内は四十前後で、色の黒い、眼の鋭い、筋骨の逞ま....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
も得意とするところであったそうだ。後、その指南番の後見のもとに、町道場を開いて、
門弟五百人、内弟子百人あまりも養っていた。身の丈六尺四寸、目方四十貫という大男で....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
ない。陸羽は代宗(七六三―七七九)の援くるところとなり、彼の名声はあがって多くの
門弟が集まって来た。通人の中には、陸羽のたてた茶と、その弟子のたてた茶を飲み分け....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
長唄の師匠では、これが一番繁昌して、私の姉も稽古にかよった。三宅花圃女史もここの
門弟であった。お花さんは十九年頃のコレラで死んでしまって、お路久さんもつづいて死....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
分で実験して見たものでなければ、何とも返事が出来なかった。 多くの学者は学生や
門弟を使うて研究を手伝わせるが、ファラデーにはこれも出来ない。「すべての研究は自....
「壁の眼の怪」より 著者:江見水蔭
この三面の秘事は、さすがに勝成裕も『中陵漫録』には記さなかったが、中島三伯という
門弟に語ったのが、今日まで語り伝えられたのであった。....
「江戸の化物」より 著者:岡本綺堂
はころころと庭に転げ落ちて、だんだん往来の方へ転げて行きます。で、稽古に来ている
門弟たちを呼んでそのあとをつけさせますと、飯櫃は中の橋の真ん中に止まって、逆様に....
「卵塔場の天女」より 著者:泉鏡花
たる美僧であったと聞く。谷々の寺に谺する、題目の太鼓、幾|個寺か。皆この老和尚の
門弟子だそうである。 「よう御参詣じゃ――紅屋の御新姐……今ほどはまた廚裡へお心....
「今戸狐」より 著者:小山内薫
これは狐か狸だろう、矢張、俳優だが、数年以前のこと、今の沢村宗十郎氏の
門弟で某という男が、或夏の晩|他所からの帰りが大分遅くなったので、折詰を片手にし....
「死神」より 著者:岡崎雪声
廿五歳の青年であったが、東京へ上京して四年後で、芝の花園橋の直ぐ近所の鈴木某氏の
門弟であった頃だ。私は一日と十五日との休日には、仮令雨がふっても雪がふっても、必....
「思い出草」より 著者:岡本綺堂
の長唄の師匠では、これが一番繁昌して、私の姉も稽古に通った。三宅花圃女史もここの
門弟であった。お花さんは十九年頃の虎列剌で死でしまって、お路久さんもつづいて死ん....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
が引退の作にて、菊五郎の明石島蔵、左団次の松島千太、いずれも好評。新七は三代目を
門弟の竹柴金作に譲りて、おのれは古河黙阿弥と改む。時に六十六歳。 ○十二月、柳亭....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
は、『新古今』撰者だった有家も四首、顕昭は一首、季経などは全然採らず、ただ定家の
門弟になっていた知家だけは十二首を採っている。右のような点には京都内だけでの政治....