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門跡
「門跡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
門跡の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
通りと頼んだじゃアねえか」
駕「ヘエ、然《そ》う仰しゃったが、乗出してちょうど
門跡前へ来たら、雨が降るから千住へ行って泊るからと仰しゃるので、それから此方《こ....
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
茶碗や皿などをぱり/\/\と食って仕舞い、気違いのようです。或《ある》時亥太郎が
門跡様《もんぜきさま》の家根《やね》を修復《しゅふく》していると、仲間の者が「亥....
「籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
られて驚いた。妹のお光が笑いながら自分の前に立っていた。 「きょうは奥のお使いで
門跡《もんぜき》さまの方まで参りましたから」と、彼女は言った。 使いに出て道草....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
」 老人の家は新宿のはずれである。記者の家も麹町である。同じ方角へ帰る二人は、
門跡前から相乗りの人力車に乗った。車の上でも話しながら帰って、記者は半蔵門のあた....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
に戦争があったのは初期の三四年であったが、此の僅かの間の市街戦で、洛中洛外の公卿
門跡が悉く焼き払われて居るのである。『応仁記』等に依って見ると、如何に被害が甚大....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
利息を取り立てる行為なぞはまッ先に鎗玉にあげられた。仁和寺、大覚寺をはじめ、諸|
門跡、比丘尼御所、院家、院室等の名称は廃され、諸家の執奏、御撫物、祈祷巻数ならび....
「黴」より 著者:徳田秋声
群集のなかに交って、寒い空の星影に戦いていたことが、今でも頭に残っていた。「あの
門跡さまのお説教を聞くものは、これまでの罪が消えて、地獄へ行くものも極楽へ行ける....
「極楽」より 著者:菊池寛
涯に聞いた如何なる場合の鉦の音と比べても、一段秀れた微妙なひびきを持って居た。御
門跡様が御自身叩かれた鉦の音でも、彼女をこうまで有難く快くはしなかった。その鉦の....
「尼になった老婆」より 著者:田中貢太郎
なむあみだぶ、なむあみだぶ、こんなことを口にするのは、罪深い業でございますが、
門跡様の御下向に就いて思い出しましたから、ちょっと申します。その時は手前もまだ独....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
――? ほんとにお前も子供だねえ」 お梅の子供らしい望みを笑いながら、お角は雷
門跡から広小路へ出ました。 お角もこのごろは、痛《いた》し痒《かゆ》しの体《て....
「織田信長」より 著者:坂口安吾
皇女の方は尼だ。関白も大納言も、そうだ。足利将軍もそうだ。子供は坊主や尼にする。
門跡寺、宮
門跡などと云って、その寺格を取引にして、お寺から月々年々の扶持を受ける....
「鯉」より 著者:岡本綺堂
い男があらわれた。 「大きいさかなだな。こんな鯉は初めて見た。」 それは浅草の
門跡前に屋敷をかまえている桃井弥十郎という旗本の次男で弥三郎という男、ことし廿三....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
というので、出て見ますと、火光は三軒町に当っている。通りからいえば広小路の区域が
門跡寄りに移る際の目貫な点から西に当る。乾き切った天気へこの北風、大事にならねば....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
間を以て分ち、その階級を示した事であった。「脇」はすなわち相撲の関脇の「脇」で、
門跡にも脇
門跡というのがあった。人にあっては左右の両側を脇と云い、つまり次とか傍....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
唱門の如きは、猿楽以下の七道の者を進退し、威権すこぶる盛んなものであった。大乗院
門跡ともある尋尊僧正の筆に上っては、「五ヶ所・十座の者共」などと安っぽく扱われて....