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「開元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

開元の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
運命」より 著者:幸田露伴
使者に托して、今年|祖龍死せんと曰えば、果して始皇やがて沙丘に崩ぜり。唐の玄宗、開元は三十年の太平を享け、天宝は十四年の華奢をほしいまゝにせり。然れども開元の盛....
殺神記」より 著者:田中貢太郎
唐の開元年中、郭元振は晋の国を出て汾の方へ往った。彼は書剣を負うて遊学する曠達な少年....
柳毅伝」より 著者:田中貢太郎
は南海に移ってそこに四十年いたが、容貌がすこしもかわらないので南海の人が驚いた。開元になって玄宗皇帝が神仙のことに心を傾けて道術を聞きにきたので、煩さがって洞庭....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
ったのである。 そもそも、この準拠なる成語は、「延喜式」の序にも見えて「準二拠開元永徽式例一」とあり、また明応四年八月の「大内家壁書」の中に用いられているもの....
十二支考」より 著者:南方熊楠
ろう、名作の物が、真物同然不思議を働く例は、『酉陽雑俎』三に、〈僧一行異術あり、開元中かつて旱す、玄宗雨を祈らしむ、一行いわく、もし一器上竜状あるものを得れば、....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の前で磔刑にした。 世の怪談にはこの類が少なくない。 術くらべ 鼎州の開元寺には寓居の客が多かった。ある夏の日に、その客の五、六人が寺の門前に出ている....
十二支考」より 著者:南方熊楠
詠んだ通り、夫婦情切にして感ずる場合はまた格別と見え、『唐代叢書』五冊に収めた『開元天宝遺事』に、〈楊国忠《ようこくちゅう》出でて江浙に使し、その妻思念至って深....
十二支考」より 著者:南方熊楠
十六禽に雉と烏を鶏に属したは、鶏、烏と斉《ひと》しく雉も朝夕を報ずるものにや。『開元天宝遺事』に商山の隠士高太素、一時ごとに一猿ありて庭前に詣《いた》り鞠躬《き....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
違いない。雪に真珠を食に充て、真珠をもって手を暖むとせんか、含玉鳳炭の奢侈、蓋し開元天宝の豪華である。 即時、その三本に二貫たして、円タクで帰ったが、さて、思....
岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
あお前は卒業した。山を出て世の中へ行くがいい」 ――で、翌日|岷山を出た。 3開元十二年のことであった。 李白は出でて襄漢に遊んだ。まず南|洞庭に行き、西金....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
代に行われた。隋の信行禅師が唱え出して唐の時代にまで行われたのでありますが、唐の開元時代に厳禁せられて終に無くなってしまった。 ところがその経巻が三十五部四十....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
る。 『東征伝』によれば、随行の弟子は、揚州白塔寺僧法進、泉州超功寺僧曇静、台州開元寺僧思託、揚州興雲寺僧義静、衢州霊耀寺僧法載、竇州開元寺僧法成、その他八人の....