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開城
「開城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
開城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「趣味の遺伝」より 著者:夏目漱石
順の海に落ちて、寒い霜《しも》が旅順の山に降っても上がる事は出来ん。ステッセルが
開城して二十の砲砦《ほうさい》がことごとく日本の手に帰しても上る事は出来ん。日露....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
、天正二年正月美濃に入って明智城を攻略し、同じく五年には遠江に来って、高天神城を
開城せしめた。家康は、わずか十里の浜松にありながら後詰せず、信長は今切の渡まで来....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
に陣を張って賤ヶ岳を囲んで居ったが、桑山修理亮の言を信じて、夕陽没するに及んで、
開城を迫った。然るに修理亮等は最早救援の軍も近いであろうと云うので、忽ち鉄砲をも....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
入り、一隻を漕ぎ還ったので、次々に船を拉し来って全軍を渡す事が出来た。清正は更に
開城を経た後大陸を横断して西海岸に出で、海汀倉に大勝し長駆|豆満江辺の会寧に至っ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
敷を引き揚げはじめたとの報もある。江戸城明け渡しの大詰めも近づきつつあったのだ。
開城準備の交渉も進められているという時だ。それらの家中衆の前には、およそ四つの道....
「若き日の成吉思汗」より 著者:林不忘
すめる。兵士ら叱りつけて制する。 木華里《ムカリ》 我軍の条件を入れて、即刻
開城とあらば、あれなる七つの星の消えぬ先に、すぐさま囲みを解いて、眼ざす乃蛮《ナ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
とも城中|疑懼《ぎく》の心の堪え無くなった頃を潮合として、扱いを入れられて北条は
開城をさせられるに至るであろう、ということであった。金七の言うところは明白で精確....
「戦話」より 著者:岩野泡鳴
やへんのや。全滅後、死体の収容も出来んで、そのまま翌年の一月十二三日、乃ち、旅順
開城後までほッとかれたんや。一月の十二三日に収容せられ、生死不明者等はそこで初め....
「ことの真実」より 著者:宮本百合子
さなども、それがそうであったように語られている。北鮮の新幕から三十八度線をこえて
開城につくまでの徒歩行進の辛苦の描写は強烈で、一篇のクライマックスとなっているの....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
然たるを得た一八〇八年の兵士らは、一八二三年には、諸|要塞《ようさい》のたやすい
開城に対して眉をしかめ、パラフォス将軍(訳者注 一八〇八年にサラゴサを護ったスペ....
「四十八人目」より 著者:森田草平
二十六歳であった。その後|赤穂城中における評議が籠城、殉死から一転して、異議なく
開城、そのじつ仇討ときまった際は、彼はまだ江戸に居残っていたので、最初の連判状に....
「瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
下に大不平を鳴らすことならん。伝え聞く、箱館《はこだて》の五稜郭《ごりょうかく》
開城《かいじょう》のとき、総督《そうとく》榎本氏より部下に内意を伝えて共に降参せ....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
人の心事如何は知るに由なしとするも、左るにても惜しむべきは勝氏の晩節なり。江戸の
開城その事|甚だ奇にして当局者の心事は解すべからずといえども、兎に角その出来上り....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
め、昼夜警護せられたることあり。その厚意今なお寸時も忘るること能わず。 江戸|
開城の後、予は骸骨を乞い、しばらく先生と袂を分ち、跡を武州府中の辺に屏け居るに、....
「原子爆弾雑話」より 著者:中谷宇吉郎
対して宣戦を布告したのである。翌十五年は欧洲平野における大機動戦、巴里《パリ》の
開城、倫敦《ロンドン》の大爆撃に暮れ、十六年には今次の戦争は遂に独ソの開戦、米国....