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開成
「開成〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
開成の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「水の三日」より 著者:芥川竜之介
りなくなって、せっせと買い足しにやる。せっせと先生の所へ通信部を開く交渉に行く。
開成社へ電話をかけてせっせとはがきを取寄せる。誰でも皆せっせとやる。何をやるので....
「硝子戸の中」より 著者:夏目漱石
》へ通っていた。南校というのは今の高等商業学校の位置にあって、そこを卒業すると、
開成学校すなわち今日《こんにち》の大学へ這入《はい》る組織《そしょく》になってい....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の人の死後になってまた働き初めたということにも不思議はない。蕃書調所は洋書調所(
開成所、後の帝国大学の前身)と改称される。江戸の講武所における弓術や犬追物なぞの....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
またフランス法派の人はこの学科を「自然法」とも言うて居った。明治七年に始めて東京
開成学校に法学科を設けられた時には、この学科を置かれなんだが、翌年に「法論」とい....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
は申すまでもない。 横須賀の造船所がしかるのみならず、講武所も、兵学伝習所も、
開成所も、海軍所も、幕府の新しい軍事外交の設備、一として小栗の力に待たぬものはな....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
があるからのことで、その由緒《ゆいしょ》を語れば、今より約十年以前、この仙台藩で
開成丸という大きな船を造った時にはじまるのです。 その時に、江戸から三浦乾也が....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
門の昌平塾を昌平学校と称してそれに国学を併せて教授する校舎が出来た。その他以前の
開成所を
開成学校と称して洋学を教授し、医学所を医学校と称して医学を教授する所とな....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
何であったろうか想像に余りあることである。 私がいまだ少年で神田淡路町の東京府
開成中学校に通っているころである。多分その学校の四級生〈今の二年生〉ぐらいであっ....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
の黒い大木がこわいこわいというのが面白かった。たしかに圧迫的です。私は子供の頃、
開成山の暗い夜、竹やぶのわきを通るのがこわくて、おぶさっている背中でしっかり目を....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ないことなど話題にのぼりました。詩人気質の過去の根の浅さについても。
国男が、
開成山の小学校の図書館へ父と母との記念のために本を寄附しようとして居ります。ここ....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
とを大目に見ていた。 明治三十年ごろ『中学新誌』という雑誌が出た。これはやはり
開成中学にも教鞭をとった天野という先生が編輯していたが、その中に、幸田露伴先生の....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
の伯爵外務卿、寺島宗則)
船奉行 五代才助
右カビテン視察の事
開成所掛大目付 町田民部(後の久成、元老院議官)
小姓組番頭 村橋直....
「学問の独立」より 著者:福沢諭吉
ばその余波もまた、いよいよ劇なり。 ここに一例をあぐれば、旧幕府の時代、江戸に
開成学校なるものを設立して学生を教育し、その組織ずいぶん盛大なるものにして、あた....
「学校の説」より 著者:福沢諭吉
栄枯を卜《ぼく》するにいたることあり。近くその一例をあげていわんに、旧幕府のとき
開成所を設けたれども、まったく官府の管轄を蒙り、官の私有に異ならざりしがゆえ、い....
「上野」より 著者:永井荷風
戯著小西湖佳話にまさるものはあるまい。 箕作秋坪は蘭学の大家である。旧幕府の時
開成所の教官となり、又外国奉行の通訳官となり、両度欧洲に渡航した。維新の後私塾を....