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開設
「開設〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
開設の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
はしがき
この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において
開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余《よ》の講話を、同校委員諸子....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
権論者は、大久保参議の薨去を見てふたたびその気焔を吐き、処々の有志者を促して国会
開設の請願をなさしめたり、ついに国会期成同盟会なるものは成立せり。この同盟会なる....
「千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
で革命を持来した。その一例を言えば、この辺で鉄道草と呼んでいる雑草の種子は鉄道の
開設と共に進入し来ったものであるという。野にも、畠にも、今ではあの猛烈な雑草の蔓....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
か相往来している間柄である。横須賀造船所の経営に、陸軍の伝習に、フランス語学所の
開設に、海外留学生の派遣に、ロセスが幕府に忠告したり種々な助力を与えたりしたこと....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
が思い思いに、あるいは文明の急務を説き、あるいは民権の思想を鼓吹し、あるいは国会
開設の必要を唱うるに至った。真知なしには権利の説の是非も定めがたく、海の東西にあ....
「十五年間」より 著者:太宰治
あんなに憎悪していたサロンにも出入し、いや出入どころか、自分からチャチなサロンを
開設し半可通どもの先生になりはしないか。何せどうも、気が弱くてだらしない癖に、相....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
解を多少新たにしたが、文人其者を見る眼を少しも変える事が出来なかった。夫故、国会
開設が約束せられて政治休息期に入っていた当時、文学に対する世間の興味は俄に沸湧し....
「海神に祈る」より 著者:田中貢太郎
に出入することができないので、藩では延宝五年になって、其の東隣の室津へ新しく港を
開設することになり、権兵衛を挙げて普請奉行にしたのであった。 野中兼山の開修し....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
洋菓子部に高相鉄蔵、食パン部に石崎元次郎の三君の入店を見ることが出来た。喫茶部の
開設を決定したのもこの時であった。これで中村屋の陣容はやや整い、目前の不利な形勢....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
ぬ人はまずなかったといって好かろう。 西岡未亡人の家にはそんなわけで、西岡医院
開設当時に贈られた蒼海翁のあの雄勁な筆力を見せた大字の扁額を持ち伝えていた。鶴見....
「純粋経済学要論」より 著者:手塚寿郎
is Ruchonnet)の来訪を受けたが、氏は近くローザンヌ大学に経済学講座が
開設せられるべきことを報じ、かつその教授候補者となることをレオンにすすめた。レオ....
「増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
聞く。二年後のオリンピックが日本において開催され、それに伴って万国博覧会が東京に
開設されるかは、いまのところ何とも見当がつかないようである。しかしながら、博覧会....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
しくなかった。 古白君歿後暫くして余は京都に行った。あたかもそれは内国博覧会の
開設中で疏水の横に沢山の売店が並んでいた光景などが目に浮ぶ。 京都には鼠骨君が....
「不在地主」より 著者:小林多喜二
随分いたようであったが、日々の交渉、集合による訓練、労農党員の「社会問題講座」の
開設等によって、(これは忙しい合間合間に行われたが、その効果では著しいものがあっ....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
れたので、第一冊の発行は明治十八年八月二十四日であった。)丁度政治が数年後の国会
開設を公約されて休息期に入って民心が文学に傾き、リットンやスコットの飜訳小説が続....