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開通
「開通〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
開通の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
に勤めていたので、社から帰る途中、銀座の地蔵の縁日をひやかして歩いた。電車のまだ
開通しない時代であるから、尾張町の横町から三十間堀の河岸へかけて、いろいろの露店....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
、余計に大きく見える。この鯛は貰って来たものである事や、空襲下の平磯からようやく
開通の列車で帰って来たことなどを話して、諒解して貰った。 ◯中小都市の爆撃が始ま....
「海底大陸」より 著者:海野十三
、事務長の部屋から送受できるように、電気回路の接続をかえさせた。 それがうまく
開通すると、かれはさっそく救援にきてくれた空軍と連絡をとった。 「え、あなたはラ....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
っている烟管を握って、杖をつく形をしてみせた。勿論、そのころの東京にはまだ電車が
開通していなかったのである。 「それでも三浦さんはまったく元気がいゝ。殊に口の方....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ら三年目の夏に日比谷公園は開かれた。その冬には半蔵門から数寄屋橋に至る市内電車が
開通して、ここらの光景は一変した。その後幾たびの変遷を経て、今日は昔に三倍するの....
「半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
ばかり、巻莨を深く吸って、 「……この石の桟道が、はじめて掛りました。……まず、
開通式といった日に、ここの村長――唯今でも存命で居ります――年を取ったのが、大勢....
「銀座は昔からハイカラな所」より 著者:淡島寒月
たことがありましたが都合でやめました。 明治五年初めて横浜と新橋との間に汽車が
開通した時、それを祝って新橋停車場の前には沢山の紅提灯が吊るされましたが、その時....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
一部で、上り下りの大名の道中や、旅人の往来などでかなりに繁昌したそうだが、汽車が
開通してからは、まるで火の消えたように寂れてしまった。この話の起こった明治十四、....
「指輪一つ」より 著者:岡本綺堂
場へ行きました。 三 なんといっても木曽の宿です。殊に中央線の汽車が
開通してからは、ここらの宿もさびれたということを聞いていましたが、まったく夜は静....
「科学時潮」より 著者:海野十三
地下鉄道の
開通 上野、浅草間の地下鉄道が出来た。入って見ると随分明るくて温い。電車の車体....
「深見夫人の死」より 著者:岡本綺堂
その賑わいを後ろにして池の端から根津の方角へ急いだ。その頃はまだ動坂行きの電車が
開通していなかったので、根津の通りも暗い寂しい町であった。路ばたには広い空地など....
「山椒魚」より 著者:岡本綺堂
月の初めで、第一日は諏訪に泊まって、あくる日は塩尻から歩き出した。中央線は無論に
開通していない時分だから、つめ襟の夏服に脚絆、草鞋、鍔の広い麦藁帽をかぶって、肩....
「年賀郵便」より 著者:岡本綺堂
の手、あるいは郡部にかけて、知人の戸別訪問をしなければならない。市内電車が初めて
開通したのは明治三十六年の十一月であるが、それも半蔵門から数寄屋橋見附までと、神....
「温泉雑記」より 著者:岡本綺堂
来るものではなかった。 江戸時代ばかりでなく、明治時代になって東海道線の汽車が
開通するようになっても、先ず箱根まで行くには国府津で汽車に別れる。それから乗合い....
「御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
ら三年目の夏に日比谷公園は開かれた。その冬には半蔵門から数寄屋橋に至る市内電車が
開通して、ここらの光景は一変した。その後いくたびの変遷を経て、今日は昔に三倍する....