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開運
「開運〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
開運の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
たためからのことだったそうでしたが、しかるに殿の勘気はいっこうにゆるまず、さらに
開運のきざしをすら見せなかったので、新たに八幡宮へ三七二十一日のご立願《りゅうが....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ちがたいへんもなくあちらにお力添えくださるからのことでござります。もともと新寺の
開運地蔵としてお祭り申しあげるよう、特にあの六体を分けてやったものでござりますゆ....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
ならなかったほど、可哀相に大切に蔵って、小さく、整然と畳んで、浜町の清正公の出世
開運のお札と一所にしてあった、その新聞の切抜を出す、とお妙は早や隔心も無く、十年....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
ながらも、一味|憚るところがあったと云われている。 秀吉だって、信長の死はわが
開運のチャンスと思ったに違いない。光秀は、私憤を利用して、無理にそう云うチャンス....
「読書法」より 著者:戸坂潤
いるのは、今日では大いに冗談ではなくなって来たのである。 この人間学は治療とか
開運とかいう手取り早い御利益に結び付いているのだが、これがもっと陰険なのになると....
「二重心臓」より 著者:夢野久作
親が五十幾つかの老年になって出来た子供なのでトテモ可愛がって、ソラ虫封じ、ソラ御
開運様といった風に色々の迷信の中に埋めるようにして育てたものだそうですが、それが....
「リギ山上の一夜」より 著者:斎藤茂吉
生のいい文章は幾つかあるであろう。山上の美しい日の出は、いわば劫初の気持であり、
開運の徴でもある。それに較べると、現に連れ添うている、我執をもつ僕の妻なんかは、実に奇妙な者のような気がしたのであった。....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
。失礼よ、ね、私に今更そんなこと。私の吉運は八方ふさがりの間にだって、その一点で
開運、上吉の卦にかわっていたのですものね。トンマねえと大笑いしてしまいました。
....
「現代忍術伝」より 著者:坂口安吾
、サルトルはひるむどころか、明るい笑みにうちかがやくばかりであった。 「この胸に
開運のお守りがあるんですな。春きたらば、花さかん。ジッとだきしめている気持。一カ....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
いにその財宝は長安の死後も発見されずに、そのまま千頭家の私財となり、ここに千頭家
開運の元をひらいた。当家大明神大女神とあるのは、それを指すのであろう。 甚八は....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
ここに当店へ出入りの油屋、彼はもと越後の小百姓であったが、地主へ奉公するも一生
開運の見込みなきところから、夫婦相携えて他に糊口の道を探すべく東京に出て来た。着....
「開運の鼓」より 著者:国枝史郎
らその時まで懸命に学んでいた支那の学問を投げ捨てて当時流行の蘭学を取ったがこれが
開運の基となって彼の世界は展開された。彼はこんな順に立身した。 蛮書翻訳係。軍....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
た小さな祠が、地震前まであった筈だ。これぞ貧乏神の祠であって、建立主は藪紋太郎。
開運の神として繁昌し、月の十四日と三十日には賑やかな市さえ立ったものである。昔は....
「瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
えい》しついに天下の大権を掌握《しょうあく》したる所以《ゆえん》にして、その家の
開運《かいうん》は瘠我慢の賜《たまもの》なりというべし。 左《さ》れば瘠我慢の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
「ホ、ホ、ホ。お上には私のような者もひとりはなければいけますまい。行くすえ、御
開運の日が来ても、もしお上のおからだがお弱かったら何といたしましょう」 「わかっ....