間の山[語句情報] » 間の山

「間の山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

間の山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
田圃道 傾斜に添うて赤坂(小諸町の一部)の家つづきの見えるところへ出た。 浅間の山麓にあるこの町々は眠から覚めた時だ。朝餐の煙は何となく湿った空気の中に登り....
古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
神を殺してしまおうという相談をきめました。 みんなは、大国主神を、伯耆の国の手間の山という山の下へつれて行って、 「この山には赤いいのししがいる。これからわし....
虎媛」より 著者:田中貢太郎
焦生はその秋試験に出かけて往った。彼は馬に乗り、一人の僕をつれていた。道は燕趙の間の山間にかかっていたが、ある日、宿を取りそこねて、往っているうちに岩の聳え立っ....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
まが思い浮められる。それから佐野の舟橋を過ぎ信濃へ入ったところ、火を有《も》つ浅間の山の煙は濛々《もうもう》漠々として天を焦して居る。そこで「信濃なる浅間の岳《....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
》の尾上坂《おべざか》と宇治の浦田坂の間、俗に牛谷というところあたりが、いわゆる間の山なので、そこには見世物や芸人や乞食がたくさん群がって、参宮の客の財布《さい....
半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
い像だけは事実で。――俗間で、濫に扱うべきでないと、もっともな分別です。すぐに近間の山寺へ――浜方一同から預ける事にしました。が、三日も経たないのに、寺から世話....
女心の強ければ」より 著者:豊島与志雄
お上さんらしいひとが出て来て、二人は二階の奥に通された。簡素に出来てる室で、床の間の山水の軸物の前に、菊の花が活けてあった。 腰高の壁の硝子戸を開くと、道を距....
生前身後の事」より 著者:中里介山
た、そうしてどうやら斯うやら本郷座のタッタ二幕の上演を見るに至ったが、右のように間の山や船小屋のいい処が出ないで、比較的見すぼらしい二場所が出たのだが、あの時に....
この握りめし」より 著者:岸田国士
。 それから二三日して、増田健次は、久しく廻つてみない山添いの部落のはるかに浅間の山裾の見晴らせる崖のふちをコツコツ歩いて行くと、その崖にのぞんだ楡の木の根も....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
ます。其の嫉妬の起った時結構な一首の歌がありますからお教え申します、「雲晴れぬ浅間の山の浅ましや人の心を見てこそ止まめ」という歌ですが、モヤ/\と火の燃えるよう....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
この時も鳴っていたのであった。思いも及ばない辺鄙の土地、四時煙りを噴くという、浅間の山の麓の里、追分節の発生地、追分駅路のある旅籠屋で、ポンポン、ポンポンと美し....
海豚と河豚」より 著者:佐藤垢石
いよ金華山沖へ漕ぎ出すことになった。仙台から牡鹿半島の突端まで二十五、六里、その間の山坂ばかりの長い道中を、スプリングの弾力が萎びてしまったバスに揺られて漸く鮎....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
浪速の名は今では知らないものはない。満洲朝滅亡後北京の舞台を去って帰朝し、近年浅間の山荘に雌伏して静かに形勢を観望しているが、川島の名は粛親王の姻親として復辟派....
釜沢行」より 著者:木暮理太郎
ったのは、この落葉松林に惹き寄せられた為であるというてよい。曾て国師甲武信二山の間の山稜を縦走した際、東俣ノ頭(東梓山)の東北に在る岩峰(両門岩)の上に休んで、....
秋の鬼怒沼 」より 著者:木暮理太郎
、此等の山でも又遠い北アルプスの雪でもなかった。それは孫兵衛山から台倉高山に至る間の山稜を超えて、翠紫を畳む幾重の山のあなたに、岸を噛む怒濤の砕けて白泡空に跳る....