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「間人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

間人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
伝吉の敵打ち」より 著者:芥川竜之介
描《えが》いていたよりもずっと憔悴《しょうすい》を極めていた。伝吉はほとんど一瞬間人違いではないかと云う疑いさえ抱いた。しかしもう今となってはためらっていられな....
」より 著者:芥川竜之介
も妹にも同情していた。姉の意見は厳粛《げんしゅく》な悲劇をわざと喜劇に翻訳する世間人の遊戯であるなどとも言った。こう言う言い合いのつのった末には二人ともきっと怒....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
しているということを認めて深き満足を味わうことができるであろう。まず約一〇万年の間人類は一種の精神的冬眠の状態にあったのでいかなる点でも現在の最未開な自然民俗に....
母子叙情」より 著者:岡本かの子
れ程深く喰い入りそこから取り出すであろう芸術も、それをあの賢夫人やその他多くの世間人達がむす子に予言するような、いわゆる偉い通俗の「出世社会」に振りかざし得よう....
春昼」より 著者:泉鏡花
ったのが、この村の中心で、それから峡の方へ飛々にまばらになり、海手と二、三|町が間人家が途絶えて、かえって折曲ったこの小路の両側へ、また飛々に七、八軒続いて、そ....
火星探険」より 著者:海野十三
。 時間にして四十秒の短い間だったが、人々はそれを百年のように永く感じた。その間人々の息は停り、心臓さえ、はたと停ってしまったように思った。 「うまく行ったぞ....
夢殿殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
解剖して、腺に急激な収縮を起すような毒物が証明されない日には、恐らく浄善は、その間人間最大の恐怖を味わっていた事になるだろうね。ねえ、薄気味悪い話じゃないか。痲....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
の間の釈迦仏は太子の御為、東の間なる薬師仏は御父用明天皇の御為なるに対して、御母間人皇后の御為に、西方浄土の教主たる阿弥陀仏を西の間に安置すべく予想せられたので....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
人間である限り、自分の判断を真に正しいと自認することはできない。そして、何百年の間人類の正義の判断は、恐怖と愚劣と迷信とのスポーツであった。エリザベス朝のイギリ....
古事記」より 著者:太安万侶
、「國内に烟が立つていない。これは國がすべて貧しいからである。それで今から三年の間人民の租税勞役をすべて免せ」と仰せられました。この故に宮殿が破壞して雨が漏りま....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
るものですから、恋愛のなかった生涯だといって寂しがることもありません。すべては人間人格完成を目標にして考えれば間違いはありません。 釈尊のように人格が完成され....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
離舎に使用していたものであろう。 ところで特にこの仙北地方に、他では半人または間人などと呼ばれた小作百姓のことを、タヤと呼んだのは一考に値する。由来、奥羽地方....
俗臭」より 著者:織田作之助
するより、よしんば夜店出しにせよ自分の腕一本で独立商をする方が何んぼうましか、人間人に使われる様な根性で出世出来るかと、いいきかせた。持論である。 半月も経っ....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
かぬ、中間階級のものとして認められていた。いわゆるハシヒトの類で、それを文字に「間人」と書いた。或いはその文字のままにマヒト、または転じてマウトなどと呼んだこと....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
記。 また貞治二年八月二十三日条に、 了。 などある。いわゆる散所法師原を、間人や在家人とともに使役しているのである(間人のことは他日本誌上で詳細発表したい....