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関城
「関城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
関城の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
活動 延元四年の秋、後醍醐天皇は吉野の南山|行宮に崩御せられた。北畠親房は常陸
関城にあって此の悲報を聞き、「八月の十日あまり六日にや、秋露に侵されさせ給ひて崩....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
一
関城の趾 東京の人士、若し土曜日より泊りがけにて山に上らむとならば、余は先づ筑波....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
、建武中興の後再び仕えて、従一位に昇り、北畠|准后といわれた。彼が常陸の小田城・
関城にいて軍を督率して戦ったことは人の知るところで、小田城中で書いた『神皇正統記....
「三国志」より 著者:吉川英治
革新の先鋒たり。時勢はすでに刻々と革まるを、汝ら、頑愚の眼にはまだ見えぬか」と、
関城の下でどなった。 華雄はこれを聞いて、 「笑うべきたわ言をほざくやつだ」 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
とに蜀軍は勢いを加え、ついにわが死地とならんもはかり難い……」 こよいも彼は、
関城の一室に籠って、ひとり頬杖ついて考えこんでいた。 ところへ、膳部の官人が、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
。 さきに遠州灘の遭難から常陸へただよいついた北畠親房は、そのご筑波の小田城や
関城に拠って、大いに東国を攪乱していたが、ことしついに
関城も破られたため、またひ....