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「関屋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

関屋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
をつとめた人は筆者の祖父灌園以外に船津権平氏兄弟及その令息の権平氏が居た。観世の関屋庄太郎氏も出ていた。 そのほか他流の人で翁の門下同様の指導を受けていた人々....
社会時評」より 著者:戸坂潤
打倒」を論じたからである。西崎某の検事調書によると、彼が一年程前に、社会教育局長関屋竜吉氏の許へ行くと、局長は、「武部が五十や百の金を出すと云っても妥協してはい....
神鷺之巻」より 著者:泉鏡花
なく知れよう。 一体、孫八が名だそうだ、この爺さんは、つい今しがた、この奥州、関屋の在、旧――街道わきの古寺、西明寺の、見る影もなく荒涼んだ乱塔場で偶然|知己....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
をしました。 ところが、たったいま引込んだ関守の組子が、得物《えもの》を携えて関屋の前後からバラバラと現われたかと見ると、弁慶の前後をとりかこんでしまったから....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
いところではなかったけれど、番場《ばんば》、醒《さめ》ヶ井《い》、柏原――不破の関屋は荒れ果てて、という王朝時代の優雅な駅路の数には、今須駅なんていうのは存在を....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
な」 とお世辞を言ったのは、二人ともに充分納得のゆく、この新屋敷の同居人、不破の関屋の関守氏でした。 二十三 同居人とは言いながら、離れた本....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
その辺はまず御安心くださるようお伝え願いたい――拙者は、つい先頃まで、昔の不破の関屋の跡の留守番をつとめておりまして、もとは名もなき中国浪人なのですが、つまらな....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ようなと思うも道理、これぞ、短笛を炉中に焼いて、おのが身の恋ざんげを試みた不破の関屋の関守氏でありました。 その取りしきりぶりを見ると、この男は、あれから不破....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
見ると、まだ花は盛りで腋《わき》の坊に一泊し、翌日は蔵王堂からそれぞれと見物し、関屋の花を眺めて橘寺に出で、夜に入り松明《たいまつ》の出迎えを受けて安部寺に一宿....
ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
近江路や、夜をうねの野に啼く鶴も、子を思うかと哀なり。番場、醒が井、柏原、不破の関屋は荒れはてて、ただ漏るものは秋の月。不破の関の板間に、月のもるこそやさしけれ....
牛若と弁慶」より 著者:楠山正雄
清盛はいくら常磐を探しても見つからないものですから困って、常磐のおかあさんの関屋というおばあさんをつかまえて、 「常磐のいるところをいえ。いわないと殺してし....
丹下左膳」より 著者:林不忘
之丞様《まつだいらくらのじょうさま》のお屋敷と、須田村《すだむら》の間をぬけて、関屋《せきや》の里まで行き着いた主従四人は、綾瀬川《あやせがわ》の橋のたもとにた....
つづれ烏羽玉」より 著者:林不忘
とを持たして出した。 花瓶は妻恋坂の旗下《はたもと》饗庭様のお邸へ、鎧櫃は向島関屋の里の自分の寮へ。 ところが、ゆうべ向島へ行って見ると、座敷の真中に花瓶が....
わが寄席青春録」より 著者:正岡容
いしたもので、今の山城少椽(当時古靭太夫)、観世左近、清元延寿太夫、吉住小三郎、関屋敏子、先代桂春團治、立花家花橘などがその代表的な専属芸術家で、かの「道頓堀行....
俳人蕪村」より 著者:正岡子規
さぎ》の脛《はぎ》を打つ 四五人に月落ちかゝる踊《をどり》かな 日は斜《ななめ》関屋の槍《やり》に蜻蛉《とんぼ》かな 柳散り清水|涸《か》れ石ところ/″\ かひ....