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関東大震災
「関東大震災〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
関東大震災の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夫婦善哉」より 著者:織田作之助
《まっ》すぐ上塩町《かみしおまち》の種吉の家へ行った。途々《みちみち》、電信柱に
関東大震災の号外が生々しく貼《は》られていた。 西日の当るところで天婦羅を揚げ....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
している有様が、夜目にもハッキリと見えた。そして、その次に、浮び出す景色は、嘗て
関東大震災で経験したところの火焔の幕が、見る見るうちに、四方へ拡がってゆくのであ....
「柿の種」より 著者:寺田寅彦
記) 大正十二年七月一日発行の「渋柿」にこれが掲載されてから、ちょうど二か月後に
関東大震災が起こって、東京じゅうの電燈が役に立たなくなった。これも不思議な回りあ....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
たが、やはり書いて見ようという気になって、ここに筆を続ける。 大正十二年九月、
関東大震災の後、津田青楓氏は、三人のお子さんを東京に残し、一人の若い女を連れて、....
「静岡地震被害見学記」より 著者:寺田寅彦
をさせないように家庭や小学校で教えるといいと思われた。 これで思い出したのは、
関東大震災のすぐあとで小田原の被害を見て歩いたとき、とある海岸の小祠で、珍しく倒....
「工学博士末広恭二君」より 著者:寺田寅彦
いては末広君が主要な中心人物の一人として活動した事は明白な事実である。大正十二年
関東大震災以前から既に地震学に興味をもっていたが、大震災の惨害を体験した動機から....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
店として使うことになった。 数えてみると今年はもうそれから十五年になるが、あの
関東大震災は、我々が麹町に移ってから五ヶ月目の九月一日であった。当時の惨状はいま....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
ぶの若木であったよ。それがどうだろう、あんな老木になっている。無理もないね。あの
関東大震災から二十年以上にもなるからな。」 そういって感慨に耽っているようであ....
「戯曲復興の兆」より 著者:岸田国士
い期待から生れた気運ではないかと思う。 そう言えば私の記憶にある限りでも、例の
関東大震災の直後、小説家の数多くが戯曲を書いた時代があった。それがほんの一時の現....
「深見夫人の死」より 著者:岡本綺堂
したにとどまって、その葬儀にもつらなることが出来なかった。 次はその翌年九月の
関東大震災である。わたしの知人でその災厄に罹かった者も多かった。東京の本社も焼か....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
、そうではなくて、往年の楼主が娼妓の逃亡をふせぐために作ったものだそうだ。そこへ
関東大震災があって吉原の娼妓が逃げそこなって集団的に焼死したので、大阪に大火があ....
「荒蕪地」より 著者:犬田卯
。 「アノ金は、ナルホドお前には、これまで、きかせずに置いたが……アレは、その、
関東大震災のときだったから、コトシで……」 ようやくのことでそんな風にはじめた....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
卒業をまたずに早稲田を飛び出し、社会運動の戦列に加わった。この年の九月一日、あの
関東大震災は私にとって初めての大試練であった。この日私は群馬県大間々町で麻生久、....
「唖娘」より 著者:田中貢太郎
っている、死んだら故郷へ知らしてくれ」 と云ったが間もなく回復した。その石川は
関東大震災の前後に物故した。....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
だ。良銭まで悪銭が道連れにしたのだから実に惜しい。のちに私は苦心して建てた工場を
関東大震災や戦災で失ったが、この七円のがま口ほどなくして惜しいと思ったことはない....