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「闕〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

闕の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
乱世」より 著者:菊池寛
官軍に反抗するとなると、藩祖楽翁公が禁裡御造営に尽された功績も、また近く数年|禁を守護して、朝廷に恪勤を尽した忠誠も、没却されてしまうばかりでなく、どんな厳罰....
真田幸村」より 著者:菊池寛
にその胄が、嘗て原隼人に話したところのものであり、口を開いてみると、前歯が二本|けていたので、正しく幸村が首級と分ったわけである。 西尾は才覚なき士で、その....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
久しうして待ちかねたまひつ、故れ左のみゝつらに刺させる湯津々間櫛の男柱一箇を取りきて一火を燭し入りますの時、蛆たかれとゝろぎて、頭には大雷居り、腹には黒雷居り....
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
佐※木、浅井、朝倉をやりつけて、三好、松永の輩を料理し、上洛して、将軍を扶け、禁に参った際は、天下皆鬼神の如くにこれを畏敬した。特に癇癖荒気の大将というので、....
運命」より 著者:幸田露伴
鋭を忠の麾下に隷し、開平に屯して、名を辺に備うるに藉り、都督の耿※庸というもの、に詣り事を奏したりけるを、斉泰|請いて執えて鞠問しけるに、王が将に兵を挙げんと....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
四四二)に、膳部王を悲しんだ歌に、「世の中は空しきものとあらむとぞこの照る月は満しける」という作者不詳の歌がある。王の薨去は天平元年だから、やはり旅人の歌の方....
戯作者」より 著者:国枝史郎
鉄槌は天下った。利益に眩み上を畏れず下知を犯したは不届というので蔦屋は身上半減で所、京伝は手錠五十日と云う大きな灸をすえられたのである。 「さて」と蔦屋は居住....
仇討姉妹笠」より 著者:国枝史郎
握り返したが、 「どういう財産? どういう素性の?」 「浪速の豪商淀屋辰五郎が、所になる前に家財の大半を、こっそり隠したということですが、その財産だということ....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
文字といえば、このような一首の和歌なのであった。 京都所司代の役目といえば、禁を守衛し、官用を弁理し、京都、奈良、伏見の町奉行を管理し、また訴訟を聴断し、兼....
怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
慶長十八年四月に頓死したが、本多上野介正純が石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに所に致し置き、妾を詮議して白状させ、その寝所の下を調べさしたところが、二重の石....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
ちて護り奉る」ものとして、聖武天皇の御信頼を得し勇士なりき。古え佐伯部の兵士の禁を護るや、彼らは久米部の兵士とともに左右の宮門を分担するの制なりき。久米部はも....
間人考」より 著者:喜田貞吉
て、「間人の意未だ考へ得ず」と記るされ、慎重なる態度を採って、所謂その疑わしきをいておられるのである。 間人なるハシヒトが果して土師人であるか否かについては....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
記事に対して、鋭利なるメスを振るわれたのであった。同君は群書類従所収聖徳太子伝補記の記事によって、日本紀の天智天皇九年庚午四月卅日夜半の法隆寺火災の記事は、そ....
ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
過ぎた。 あらゆる欲を断とうには、まだ年が若過ぎる。 世間が己に何を提供しよう。乏に堪えよ、忍べよと云うのが、 人の一生涯時々刻々 厭な声で歌われて、 誰の耳....
古事記」より 著者:太安万侶
だつたので左の耳のあたりにつかねた髮に插《さ》していた清らかな櫛の太い齒を一本|《か》いて一|本《ぽん》火《び》を燭《とぼ》して入つて御覽になると蛆《うじ》が....