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「阮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

阮の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
(王猛の字)の匹《ひつ》ならんや、処士虚声を盗む何代《なんのよ》か人なからんと王亭は言った(『池北偶談』巻二)。ちょうど虎豹が林沢におれば威あり、幽棲を去って....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
り付けて、無礼の罪を泣いて詫びると、劉は黙って何処へか立ち去った。 無鬼論瞻は字を千里といい、平素から無鬼論を主張して、鬼などという物があるべき筈がない....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
ていると、柳は再び姿をあらわして、画の上から降りて来た。そうして、七賢人のうちの籍を指さした。 「みんなが待ち遠しいだろうと思いましたから、唯あれだけを繕って....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
教えてくれた。 「それは普通のがまではない。青蛙というものだ。」 その人は清の葵生の書いた「茶余客話」という書物を持って来て、梅沢君に説明して聞かせた。 ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
をひいたのは、幕府で設けた蕃書調所なぞのすでに開かれていると聞くことだった。箕作甫、杉田成卿なぞの蘭学者を中心に、諸人所蔵の蕃書の翻訳がそこで始まっていた。 ....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
、大槻|磐渓《ばんけい》先生が初めて作られた訳語であるということである。 箕作甫《みつくりげんぽ》先生の養嗣子省吾氏は、弱冠の頃、已《すで》に蘭語学に精通し....
日本楽器の名称」より 著者:寺田寅彦
手で作りかえた、それがだんだんポピュラーになったものらしい。それからシナの楽器の咸と三味線とが同一だとか、そうでないとかいう議論がある。また、元の時代のかの地....
十二支考」より 著者:南方熊楠
も熊野人は以前黐で猴を捕えたと伝え、その次第ストラボンの説に同じ。『淵鑑類函』に※封渓で邑人《むらびと》に聞いたは、猩々数百群を成す。里人酒と槽《ふね》を道傍....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
たんだ」 「江戸で、その時分の英学者は、どなたでしたかね」 「左様――蘭学で箕作甫《みつくりげんぽ》、佐久間象山《さくまぞうざん》などというところが大家だった....
三つの悲憤」より 著者:豊島与志雄
ある田舎に、という豪族の一家がありました。 家の一人息子の東は、志を立てて、都に出ま....
慶応義塾の記」より 著者:福沢諭吉
》し、降りて天保弘化の際にいたり、宇田川|榛斎《しんさい》父子、坪井信道、箕作|甫《げんぽ》、杉田|成卿《せいけい》兄弟および緒方洪庵等、接踵《せっしょう》輩....
秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
を延ばし、外交を開始したのは、それより少し早く、慶長六年のことであり、安南都統の敬という者が「日本人、当国海岸に漂流し来たり、当国人を妄りに殺戮す」と申し来た....
数学史の研究に就きて」より 著者:三上義夫
考え、出来るだけ支那の数学をも研究してみたけれども、支那の数学についてはわずかに元の『疇人伝』があるだけで、他にほとんど拠るべき書類もなく、支那の算書といって....
俳人蕪村」より 著者:正岡子規
とぞ。かの謝蕪村、謝寅、謝長庚、謝春星など言える、門弟にも高几董《こうきとう》、道立《げんどうりつ》などある、この一事にても彼らが徂徠派の影響を受けしこと明ら....